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ブッロコリーの森から

■2017年2月17日  140
14・15日と高江に行った。高江は今どうなっているの?どうしているの?という事をよく聞く。工事はまだ進行中である。高江で繰り広げられた違法を全国が共有し、全国がたち上がるまで、現地で少しでも工事阻止、遅延のために力を注ぎたいと、有志で集結している。14日は北勝建設の作業員10名は車で直接ゲートにはいることはできなかった。
現場の作業員のリーダーがパトカーの手助けを期待して、車中からパトカーは?と探す姿が見られた。警察が公平・中立の立場で対処すれば工事は進められない。辺野古でも高江でも県民の民意から如何に外れた工事がなされているか証明している。別の現場の作業員は昼過ぎの3時頃にゲートに入った。
翌日ゲート前で監視していると、北勝は6時から7時の間に車両5台ぐらい、仲程建設・本部造園組と思われる作業員車両は7時半から8時半ぐらいまでの間に7台ぐらい入った。14日はあまり工事は進められなかっただろう。小さな抵抗でも積み重ねたい。昼間はメインゲートで米軍に抗議をした。
オスプレイが前日に引き続きN4辺りからメインにかけて旋回していた。火曜日も水曜日も高江を訪れる人の多かったこと。政府の完成の声を聞かされても懐疑的な人はいっぱいいる。諦めず高江に来てください。写真は新川ダムの緋寒桜。ソメイヨシノのように全山一斉に咲きそろうということはない。イタジイなどの照葉樹林の間にバラバラと咲く。一本一本、開花時期も花の色も微妙に違う。

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■2017年2月12日 139

先週は6・8・11日と高江に行った。6日は高江連絡会のメンバー中心の作業員車両への説得・抗議活動。先週機動隊のいなくなったN1ゲートから北勝建設の作業員車が入ったということで、私はN1ゲートで待ちかまえていた。北勝建設は9日、ダンプ3台が3往復して辺野古に砂利を運びいれた。北勝建設は、権力に守られ高江で森を壊しつつ、今また辺野古の海の破壊に手を染めている。こうして権力と癒着しながら自ら肥え太り、その力を来年早々の名護市長選で発揮し、あわよくば、さらに肥え太る絆を手に入れようとしているのだろうか。
8日は午後からメインゲートで米軍への抗議行動をしたが、16時前後から30分ぐらいオスプレイが2機飛来し、確認しただけで3回ホバリング訓練をした。
11日はやんばるを散策をした。写真は宇嘉川河口。当日は風が強かったが、河口は穏やかであった。亜熱帯雨林の森を散策した、キャンプをしたり、天候が良ければ泳いでも素晴らしいだろう。ここが、1996年SACO合意で新たに米軍の提供区域となってしまった。この沖にオスプレイ等を乗せた艦載機が来、上陸訓練をする。早朝辺野古のキャンプ・シュワブ前に立っていると壮大な朝焼けの景色が見られた。
しかし、金網越しで。県民の森も海も空も米軍の好き放題になっている。これ以上ではなく、今ある、これも、あれも、全て一旦県民に返してほしい。銃剣とブルドーザーで奪ったものを、戦後ずっと使い続け、増強し続けたものを、返して欲しいというのは当たり前ではないか。この当たり前のことを実現するために、海や森や道路上で早朝から立ち尽くしている。高江の新たなヘリパッド工事も継続中、使用するレベルには達していない。強力な権力に立ち向かうには小さな力だが、数と面で日米を翻意させましょう。

 

 

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■2017年2月5日 138
2月1・2・3日高江に行った。2日は久しぶりにN1で車中泊した。湯たんぽを用意し、準備万端である。早朝新川に移動、満天の星空を見ることができた。31.1.2日とN1表のゲートから4トントラックが7台出たのが確認されている。入りが確認できていないので何をいつ運び込んでいるかは不明だが、完成とは程遠い状況であろう。3月ー6月の営巣期(重機を使った工事はしない、は毎年概ね守られている)もあり、工事を急いでいるのだろう。

3日は早朝から高江に有志が集まり、作業員へ「工事を止めるよう」説得抗議をしようと試みたが、残念ながら入りは確認できたが、説得・抗議までは出来なかった。政府は辺野古も工事再開を目論んで、フロートに工作物を付け、抗議する市民を排除する準備にやっきである。辺野古の海上・ゲート前でも市民は座り込んでいるが、高江も諦めてはいない。高江は遠いし、行動はどうしても早朝になり、厳しい側面はある。だからこそ多くの方に来て欲しい。
N1表の住民の会のテントも新装し、ストーブも用意されている。座り込み継続の状況も整いつつある。ひところのように活発な動きはないが、ヘリパッド反対、北部訓練場の全面返還の意思は強固になっている。高江・辺野古に大勢の人が集まることを願っている。

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■2016年1月28日(旧正月)137
25日高江に行くと、N1ゲート前で分厚い可動式壁として置かれていたコンテナ車がなくなり、その分アルソックの警備員が増員され、隙間がないくらいの人で壁をつくっていた。7月11日未明から設置されていたメインゲート横の柵も撤去され、基地との境界を示すタイガーロープに沿った鎖と、鎖止めの水タンクが残されるだけとなっていた。基地外の路肩いっぱいに敷き詰め、集会の邪魔をしていた柵は、当初から違法な構造物だと指摘されていたが、半年間、ただ市民の抗議活動を妨害するため、通行妨害をしてまで設置していたのだ。外側は少しづつ元に戻りつつはあるものの、それでも民間警備会社のスタッフが24時間立ち尽くしている異常さだ。ヘリパッド現場、そこへのアクセス道路などは、今、また工事をやり直しているようだ。
12月22日の返還式典に間に合わせるため形だけ整えたが、今も毎日工事業者が中で作業をしている。27日はその作業員に工事を止めてもらおうと要請・説得のため久しぶり高江に人が結集した。私たちが来る前に作業員は入ってしまったようだが、測量担当者は帰って行った。何とか米軍の使用を止めるため、できることを今後もやっていこう。
東京のMXテレビの「ニュース女子」という番組で、高江の抗議行動への悪意に満ち満ちた嘘を、公共の電波で流した。私は見ていないが一般の市民を装いっていた人物は、普天間のゲート前での抗議行動に対しても嫌がらせや暴力行為を繰り広げていた人物だ。辺野古や高江、普天間や嘉手納で何年も続けられてきた抗議行動が貶められるのは許しがたい。差別・偏見・人権侵害がここまで来たのかとおもうと、日本という国が嘆かわしく、恐ろしい。

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■2017年1月.22日 送信 136
18日に高江に行く。N1ゲートにはいつもの警察のコンテナ車とゲリラ用警察車両のみ。しかし停車禁止の標識もずらっと並べたポールも片付けられはしない。ゲートの前を民間警備会社のアルソック社員が10名ずらっと立っている。内側には機動隊員・防衛局職員がちらちらとこちらの動向を伺っている。表面上は静かだが中での工事は続行中。N4,GHの入口もアルソックの警備員がずっと立ち尽くしている。
彼らはいったいいつまで、何のために居るのだろう。辺野古でもゲートの前に立ちつくし車両の誘導などをしている。これ全て国民の税金だ。県外から来て、基地を食い物にしている企業がここにもいる。N1ゲートの前に座り込んでも何も抵抗・抗議も出来ないのだが監視は必要だ。11時半頃から午後5時頃まで上空を米軍ヘリが飛び続けた。
その間にオスプレイも2機編成で3度来、N4で離発着訓練をした。飛べば飛ぶだけ事故が増える。20日夜にはうるま市(東海岸)の伊計島の農道に普天間所属の新型攻撃ヘリAH1Zが不時着した。そして何事もなかったように同型機は翌日も飛び続ける。17日の地元紙に暴かれたのは2015年、米艦船ボノムリシャールが沖合で汚水をドラム缶にして750本分海洋投棄していた件だ。
情報公開で地元紙がすっぱ抜き、県民の知るところとなった。都合の悪いことは隠し、隠し切れないことは矮小化し開き直る。あーあ、米軍よ出て行ってくれ。写真はY氏たちが作ってくれた、森に溶け込めそうなトイレ。

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■2017年1月16日 送信 135
 11日、今年初めて高江に行った。N1ゲートは機動隊のコンテナ車が1台停止し、その前に民間警備会社のスタッフが10名程、内に防衛局職員が数人、おそらく県警の機動隊も居るのだろう。道路上には県警のカマボコ車とゲリラ車1台が留まっているだけだった。しかし、ゲート中心に南北100メートルぐらいには停車禁止の標識を残したままである。N4にも民間警備のスタッフが常駐している。県外の機動隊500名は地元に帰ったそうだ。外からは動きが見えないが、G,Hの入口から作業員が入っているのは確認されている。G地区と宇嘉川河口部を結ぶ歩行訓練ルートを含め工事全体が完了するのは8月頃と防衛局は伝えている。返還式典後、砂利を剥がし工事をやり直しているのが市民から指摘されている。13日にはN1ゲートからミニユンボ・単管・フェンスなどの資材の搬入もあった。完成は未だしていない。
12月30日、遅ればせながら我が家(那覇市)で年賀状を書こうとしたが、オスプレイを含む米軍ヘリが午後すぎから夜遅くまで飛行し続けた。おめでとうの言葉が出てこない。心からおめでとうと言える日を迎えるために、全基地撤去の日まで声を上げ続けるしかない。写真はN1テント奥で花をつけていたチケイラン?

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山城博治さんらを救え!

「山城博治さんたちの早期釈放を求める会」趣意書 
 
 山城博治さんが2016年10月17日、高江のオスプレイヘリパッド建設 現場で有刺鉄線を切断したとして器物損壊容疑で逮捕されてから、はや70余 日が経過しました。  この間、沖縄県警は、山城博治さんたち7名を次々と公務執行妨害、傷害、威 力業務妨害などの容疑で逮捕し、うち4名は保釈されたものの、今なお山城博治 さんを含む3名が起訴され、長期勾留を強いられています。しかも、山城博治さ んには接見禁止がついていて、弁護士以外は接見できず、家族も会えないという ひどい扱いを受けています。

 これらの逮捕は、いずれも不当極まりないものであり、市民による抗議運動の 高揚に恐れをなした安倍政権の差し金による高江・辺野古の運動潰しにほかな りません。

 不当勾留されている3名とも、連日の長時間に及ぶ取り調べにもかかわらず、 不屈に闘い続けていることはいうまでもありません。ただ、ここで私たちが何より懸念しているのは、長期勾留による3名の健康状 態であります。なかでも、山城博治さんは、2015年に大病を患い、現在もそ の影響で決して健康な身体であるとはいえません。現に12月19日の血液検 査で白血球値がぎりぎりまで下がっていることが医師から告げられ、家族をは じめ友人、知人が憂慮しているところであります。また、山城博治さんは、末端 冷え症で手足が冷たくなりやすい体質のため、これからの季節がより一層健康 に悪影響を及ぼしかねません。これ以上の勾留は、山城博治さんの生命を危険に さらすことになりかねません。

 このような状況で、私たちは取り調べ期日が終える12月20日を藁にもす がる思いで待ちました。なぜなら、通常通りであれば取り調べ期日が終われば当 然保釈されるものだと思っていたからです。ところが、私たちの期待も空しく、今なお裁判所は釈放を認めようとしていま せん。裁判所は、検察の山城博治さんたちを社会に帰さない、運動させないとい う強い意向の前に、自らの良識をかなぐり捨て、人権を尊重するという本来の責 務を放棄したと断ぜざるを得ません。

 よって、私たちは、沖縄のすべての人々、全国の良識ある人々に広く呼びかけ、 山城博治さんとその仲間たちの一刻も早い釈放を勝ち取るための運動を展開し ていきたいと思っております。この趣旨をくみ取り、一人でも多くの方がご支 援・ご協力を賜りますよう心からお願い申し上げます。
 
共同代表   山内徳信、崎原盛秀、伊波義安、仲宗根勇、新川秀清、東門美津子 事務局長   平良眞知
 
連絡先 電 話:090−6864−6628(照屋)

住 所:〒904−2245 沖縄県うるま市赤道 17-5 照屋大河事務所気付

メール:t-taiga@gaea.ocn.ne.jp

 

 

 

 

 

 

 

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■2016年12月30日送信 134
26日、翁長知事が前知事の取り消しを、「最高裁での敗訴」を受けて取り消した。これで前知事の承認が復活した。最高裁の判決には執行力はないので取り消しを自らする必要はない、するにしても締切日はないので県民への説明を十分してから、待ってほしいと県庁・知事公舎で要請したが適わなかった。27日すぐにも政府は工事に着手するかもとのことで、27日はまず辺野古に向かった。高江の工事が始まってからは座り込みには全く参加できなかったので、ゲート前で皆と座り込むのは何か月振りだろう。当日は雨・風が強く今日の工事強行はなさそうとの判断で高江に移動した。高江では警察車両・機動隊員の姿は全く見えず、民間警備会社の警備員が立っているだけだった。大雨の中も彼らは立ち尽くしていた。可哀相とも思うが、いったい何のために立っているのか?これ全て税金で賄われるのだ。この工事には壮大な税金が浪費されている。
翌朝、未明にまた辺野古に移動。陸上から資材の搬入などは無かったが、海上には6名乗りの海保のゴムボートが10艇出ていたそう。実際の作業は陸上でフロートなどの準備作業が行われただけだが、辺野古工事再開と、安倍首相はオバマ大統領に真珠湾で胸を張ったようだ。どこまでも、国民ではなく、県民ではさらさらなく、アメリカにのみ目が向いている人だ。
昨日は年賀状を書こうと机に向かったが、2時過ぎから我が家(那覇)の上をオスプレイやその他の米軍ヘリが飛び続け、おめでとうの言葉を記す気にはなれない。30日は今年最後の嘉手納行動の日。毎金曜日早朝嘉手納基地の撤去を求めての行動、39回目であった。金曜はいつも高江で参加できなかったが、やっと最後に間に合った。さすが極東最大の空軍基地、次々と米兵・関係車両がゲートに入ってい行く。思えば39年前、沖縄に来て感じたことの一つがこの嘉手納基地の広大さ。自分の住んでる那覇市の中学校の運動場のあまりの狭さに、これはサブグラウンド?メインは他にあるの?運動会はどうしてやるんだろう?と首を傾げた。そのすぐ後、58号線をバスで走っていると、どこまでも続く基地、その広大な芝生の中で、数人の米兵の子供たちが伸び伸びと遊んでいた、この不条理な光景はいまでも心に焼きつている。米軍基地は存在そのものが否定されるべきなのだ。

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■2016.12.25  送信  133

国民が納得するまで再開しないと言っていたが、6日後の19日からオスプレイは飛行再開した。国民の中に沖縄県民は含まれていないと明言したのも同然だ。20日から24日まで高江にいたがその間オスプレイが飛行しなかったのは、まやかしの「北部訓練場の過半返還」の式典当日22日と、クリスマスイブの24日だけだった。
県民の不安は一顧だにしないが、日米の都合で訓練は止められるのだ。オスプレイは、抗議する人々の頭上を何度も旋回し、集会傍のメインゲート付近で執拗にホバリング訓練を繰り返えしていた。
22日は大挙していた機動隊員の姿・警察車両は高江には全く姿が見えなかった。全て式典の警備に駆り出されたようだ(一部は安部かもしれないが)。会場のブセナホテル入り口の国道は正装で身を固めた機動隊員が抗議のメッセージを見せないようぎっしりと張り付いていた。大雨のなか北から南から県外から意思表示をする市民が国道に沿って、十字路を固めるように、並んだ。ブセナホテルに入るには自動車道を許田で下り北から南下するのが一般的で、私たちも北に厚く市民が並んでいた。その情報があったのだろう、南からパトカーに先導されあっという間に通り過ぎたらしい。
その後、同じ名護市で「オスプレイ墜落の抗議集会」が持たれこちらは4200名の市民、翁長知事、新里県議会議長などの出席のもと、雨に打たれた体を怒りの熱気が包んだ。あとでテレビを見ると、式典は狭いホールに空席が目立っていた。
20日には最高裁が不当な高裁判決踏襲する判決を出した。辺野古も苦しい闘いが始まる。しかし挫けるわけにはいかない、全国の皆様、一緒に安倍政権を葬り去りましょう。

 

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■2016.12.18 送信  132
先週も風が強く寒かった。そんな状況でも米軍ヘリは飛ぶ。写真最初は13日高江の上空を飛ぶオスプレイ。最近は朝・昼・夜と関係なくオスプレイを含む米軍ヘリが飛び回っている。13日も夜9時頃までヘリ音は聞かれた。その日、夜9時半頃、名護市安部(辺野古のすぐそば)集落のすぐ脇の海岸の浅瀬にオスプレイが墜落したことを翌朝知った。隣の宜野座村での抗議に耳もかさず訓練を強行した挙句の事故だ。同日夜11時半ごろには普天間飛行場では別機のオスプレイが胴体着陸という重大事故も起こしていた。安部の大破したオスプレイの残骸処理には米軍が立ちふさがり名護市長も立ち入らせなかった。防護服を着た米兵が機体の処理をする。2004年の沖国大へのへり墜落時と全く同じ光景が12年後も繰り広げられた。しかも4軍調整官は謝罪はなく、「人に被害が出なかった、県民は感謝しろ」と発言。大破したにも関わらず政府は不時着と言いつくろい、19日にもオスプレイの飛行再開を容認するらしい。沖縄はやっぱり植民地なのだ、そして日本政府・官僚はアメリカの従属国のメセンジャーボーイでしかないのだ。
14日は高江の機動隊は安部に派遣され砂利を護送することが出来ず、14日は早朝以外は砂利の搬入はなかった。しかし、15日には108台、16日には57台と砂利を送り込んだ。16日には防衛局・米軍関係者がヘリパッドを視察。完成とした。17日、メインゲート前でヘリパッド「完成」・オスプレイ墜落の抗議集会に300名が結集。その後辺野古のゲート前で900名が参集し怒りの集会が持たれた。翁長知事が22日の返還式典の中止を求めたのは当然である。

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