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ブロッコリーの森から

 ■■2016.09.24【119】
14日(水)の行動日に合わせて早朝3時半に那覇を出た。仲間たちは東・大宜味・国頭の3村にまたがりダンプ・作業員の監視・阻止行動に活動している。政府は環境に与える影響が大きいと作業は一つの工区づづとの計画も自ら投げ捨てG・H同時工事に取り掛かるとなりふりかまわぬ構えだ。日米合意以外は眼中にない、環境も法も民意も日米合意遂行の前には踏み潰すと宣言したのだ。
16日の「辺野古違法確認訴訟」の判決内容もそうなのだろう。司法も政府の言い分丸飲みの内容だ、日本は3権分立も民主主義も主権在民も地方自治も全てアメリカに従属した範囲をはみ出すことはしない、ということなんですね。県民に冷や水を浴びせる判決内容だったが、ここまで酷いともう冷や水ぐらいではこの闘いは止まらない、エネルギーにするしかない。これは日本全体の話、是非全国でも自らの人権を守るための闘いと位置付けて頑張りましょう。
資材運搬には民間・自衛隊ヘリを使用、作業員の出勤には警察・防衛局の車両を使用。ダンプや作業車の護衛にはパトカーが先導。いったいどうなってるの?先週は高江で辺野古で市民が3名不当逮捕された。しかい起訴には持ち込めるはずもなく17日には解放された。17日の行動日には怒りの市民が300名集まりダンプの侵入は阻止した。
しかし、平日の午後私たちの監視が弱くなるとその隙をついて作業員が入り込む、16日の深夜23時45分には防衛局?警察?車両が8台、2時半には作業員の車が1台ゲートに入って行った。私たちの行動範囲も時間ももっともっと強化できれば。それには隙間のない人の数が必要だ。

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福岡高裁那覇支部判決に対する抗議声明

                                           
                                                   2016年9月18日

                      信州沖縄塾 運営委員
                      伊波敏男 大村忠嗣 村山 顕 門屋和子 小林袈裟雄

         遠藤正子 橋本春雄 正村正博 竹内茂人 横田雄一 


 2016年9月16日、福岡高等裁判所那覇支部は、翁長雄志沖縄県知事による名護市辺野古の埋め立て承認取り消しをめぐる不作為の違法確認訴訟の判決を言渡し、国の訴えを全面的に認めました。
 この判決に接して唖然としたのは、国の主張をただなぞっているだけの裁判所の姿勢です。ときの政権(内閣―行政権)による権力の乱用・暴走をチェックする役割を果たすべく近代憲法の根幹に埋め込まれた三権分立の理念―とくに司法権による行政権の抑制がかくも明らかさまに、かついとも簡単に投げ捨てられていることに愕然としました。
 判決は、辺野古新基地建設による全体としての沖縄の「負担軽減」として、予定地は普天間基地の半分以下の面積になる、キャンプ・シュワブ内にあるといって、負担の範囲を最小に切り縮める裁判所の目には、蝟(い)集(しゆう)するオスプレイが名護の市街地やその周辺上空を飛び、高江などの沖縄島北部ヤンバルや伊江島で、すでに強いられている騒音被害などの過酷な負担、宮古・石垣への自衛隊配備の具体的進行、新しく強襲揚陸艦が接岸する軍港、オスプレイなどに弾薬を積み込む「弾薬搭載エリア」の設置、核弾頭保管用弾薬庫を備える辺野古新基地の恒久的軍事要塞化、そのなかで急速に進む日米軍事の一体化などは入っていないと断ぜざるを得ません。国にならって普天間の「移設」と表記すること自体が現実を隠蔽するものです。
 判決には日本国憲法の平和主義の志がまったく感じられません。むしろ、現政権の「積極的平和主義」という名の対外軍事路線を追認し、司法の名においてこれを正当化し、戦争準備・戦争体制を加速するものです。
また、普天間の「移設」は負担軽減を求める沖縄の民意に反するとはいえないとも言っています。これは直近の衆参両院選挙の結果に現われている民意を無視するもの、すなわち、日本国憲法が依って立つ国民主権主義の原則を逸脱するものです。
  本来、辺野古新基地建設のように国内の一地域に重大な影響を及ぼす問題については、一内閣で決するべきではなく、憲法92条(「地方自治の本旨」に従い、国会での立法手続き、さらに同95法(特別法の住民投票)にもとづき住民投票に付せられるべきでした。判決は、巨大新基地建設とその運用による新たな住民への被害、基地があることによる軍事的攻撃を受ける危険の増大、世界的に稀少価値のある膨大な数の海洋生物の種の喪失を含む貴重な自然を破壊することへの配慮がなく、個人が幸福に生きる権利、日本国憲法の保障する基本的人権の尊重にも違背しています。
 判決は、改正地方自治法が国と地方自治体の関係を「対等」と位置付けたことを無視した点において、憲法の要請する地方自治の本旨、すなわち、地方自治体の自治権―自己決定権を踏みにじっています。
判決には、裁判所が保障すべき憲法上の四大原則、すなわち、平和主義、国民主権、基本的人権、地方自治権を守ろうとする姿勢が欠けています。まさに司法に託された使命をみずから放棄しています。
手続き的にも、判決は、前知事の埋立て承認を審理の対象にしていますが、正しくは現知事の承認取消しの違法性を審理の対象とするべきであった、このため著しく国に有利になったと専門家は指摘しています。
 判決は、政府と同じく「辺野古が唯一」で、辺野古に「移設」しない限り普天間の負担が固定化されるといってます。しかし、普天間基地は国際人権法(1907年のハーグ陸戦法規)に違反して造られた違法基地であり、終戦とともに閉鎖されるべきでした。たとえて言えば、強盗が代わりのものを提供しない限り、強奪物を返してやらないといっているのと同じです。こうした不条理がいつまでも続くわけはありません。判決からは、正義や公平の感覚はまったく伝わってきません。
満腔の怒りをもって抗議するとともに、これを機に、司法をも巻き込んだ翼賛体制づくりのもと軍事路線をひた走る現在の国家統治の流れと徹底的に闘うものであることを声明します。

  

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ブロッコリーの森から

■■2016.09.11【118】
9月7日(水)から10日(土)まで高江にいた。前日まで台風の余波を受け雨風が強かったが水曜日は落ち着いてきていた。それでも今週はずっと雨に打たれながらの行動になった。N1テントは元々のテントが手狭で、日差し避けにと立てた小ぶりのテント。9年間ずっと使用していたテントは7月22日に防衛局に壊され中身もろとも盗まれ今はこのテントとさらに簡易なテントを24時間座り込みの拠点とせざるを得なくなっている。そのテントも私が着いた時は台風対策で屋根を下してしまっていた。
座り込み参加者は大勢いるが皆何か所かに散り朝は人が少ない。Nさんが一人でテントを復旧してくれた。私はトイレ用に雨水を貯めては補充したりしていた。警察車両がゲート前南北にずらっと車を停め、午前中はいつ封鎖されるか分からないので水を補充するのも一苦労なのだ。そして前日もまた警察が2回目の作業員を運んだと聞く。公立・中性の立場を投げ捨てた警察、数と権力で市民を排除する機動隊、その指揮をとる防衛局。この国の、国家の暴走が加速している。
9日、昼過ぎに雨が止むと上空からヘリが飛んできた。目の前のゲート内から長いワイヤーで吊り下げられた資材が運ばれてゆく。ワイヤーは時に斜めになり、一度は県道にはみ出しながら資材を計5度運んだ。米軍のたかだか4個のヘリパッドを造るためにこの国はどこまで暴走していくのか。そら恐ろしい。水曜・土曜は行動日、早朝から夕方まで多くの市民が駆けつけ工事を止めようと国の暴走に必死で抵抗した。この暴走の陰で本来果たすべき東日本や熊本、東北などの被災者の生活再建が踏みつけられているのだ。

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ブロコッリーの森から

■2016.09.04【117】
 31日から1日まで高江にいた。1日はこれから取り組まれる土曜・日曜行動の最初の日。6時の早朝に辺野古よりさらに車で1時間、バスもない時間どれだけの人が集まれるのだろうか?期待と不安のなか泊まり込み組が30名ぐらい、その後、6時過ぎには次々と車がN1ゲート前を通過する光景に胸が熱くなった。ゲート南側は分からないが北は東村を越え国頭村まで支援者の車の列が続いていた。総勢多分400名位とのこと。N1ゲート以外にも北や南、いろいろなポイントで監視抗議行動をしていた人々がいて多分としかいえないのだ。そして、この日は砂利のダンプも作業員車もゲート内には入れず、完全勝利の第一歩の日ともなった。

 まずは結集した人・支援者と共に喜びたいしかし単純に喜べないことの一つに、前日我々の行動でゲート内に入れなかった作業員10数名を、沖縄県警がパトカーや機動隊車両3台に載せてゲートまで搬送したことだ。今までも砂利トラや作業員車はパトカー・機動隊に護送されゲート内に入って行ったが、今回は自ら搬送した。直接この目で見なければ「まさか!」と思う違法が目の前で連日繰り広げられている。「まさか!」のもう一つは今日の地元紙の報道だ。東村宮城、ここは最近砂利トラ・防衛局・警察車両が集結し発進する拠点となっている。ここでクレーンが鉄パイプのようなものの吊り下げ作業が繰り返し行われている。防衛局が機材の空輸を目論んでいるがその訓練か。またこの作業には自衛隊機が使用されるとのこと。

 「まさか!」その3は地元テレビ報道で、4月の元海兵隊の暴行殺人事件を受けての防犯パトロール、県民はこんな小手先がなんの防犯にもならないことを知っているが、それにしてもその目的で派遣された人が高江で工事強行を担っている。そして人手が足りないからと防犯パトロールには国の15の出先機関に協力願いを出し、その一つの気象庁では課長以上がこの任務にあたっている!!!もはやこの国には当事者抜きの勝手な日米の合意を遂行する、そのためには法律も道理もなんでも踏み潰すということらしい。写真は県道沿いで警察車両の吐き出す排気ガスにまみれながら花の蜜を吸うリュウ
キュウウラナミジャノメ。

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ブロッコリーの森から

■2016.09.04【116】
 23日(水曜)から27日(土曜)まで高江にいた。その間工事が急ピッチで進められていることを実感。ダンプは4台同時にN1を入って行った。N1裏の提供施設の境界にN1表から資材が搬入されておりヘリパッド現場までは車両が入れるようになっている。急ピッチにすすめるため、機動隊の規制はさらに激しく暴力的になり、連日負傷者が出た。文子おばあの小指は骨が見えるほどひきちぎられ、転倒させられた女性のかぶっていた白い日よけ帽には血がべったりへばりついていた。

 森の違法伐採も荒々しく、木々の切口からは惨殺という言葉が浮かぶ。そこには命に対する根本的な畏敬の念が全くない。そしてこの工事をここまで暴力的に推し進めるのは米軍の圧力と、それに過剰に膝まずく日本政府だ。当初から米軍は工事の進捗をチェックにゲート内に入っていたが、私がいた5日間、毎日写真の米兵がダンプが入る時間に来てつぶさにその様子を観察していた。沖縄から辺野古工事中止をアメリカに働きかけても、いつも国内問題だと逃げを打つ。

 しかし、アメリカが背後に居るのは歴然、高江ではもはや背後ではなく正面から「たかだかヘリパッドにもたついてるなあ。俺たちの基地をお前らきっちり完成するんだろうな?」と監視しているかのようだ。しかし彼も気付いただろう。過半の返還・国立公園の餌も付けた、沖縄の北の端、見てる人も少ない、全国から機動隊も配置させた、辺野古のような抵抗はさせない、日本政府はそう言ったが本当だろうか?本当に年度内に完成までもっていけるのか?いえいえ、環境に負荷がかかると工区は1地区毎としていましたが同時に3区やります、資材は自衛隊のへりを使っても搬入し、モノレールを造って運搬します。ここでは違法も常法化して工事が進められている、時間がありません。市民の抵抗にもっと多くの力を!!


 

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誕生からこれまでの歩み

機ドの音
 2004年の3月20日、電話口の相手は沖縄県立与勝高等学校教師のGさんだった。
「5月の3日、4日に、長野俊英高校の生徒が呼びかける高校生の『ピースイン松代』が開催されます。与勝高校から女生徒3人と引率者として私が同行したいと思います。宿泊をお願いできないでしょうか」
同校と私の縁はハンセン病問題の講演会によって結ばれていた。三線と沖縄の歌も披露しながらの沖縄報告も無事こなし、沖縄に戻る日の朝の食卓は、いつもの夫婦二人のだけの朝食と違い、にぎやかな声が交わされていた。突然、Aさんの感極まった声にそのざわめきが消えた。
「私ねー、二日間つづけて木々を渡る風の音を耳にした」
その言葉の意味を理解しかねて問い返した。
「君たちのふるさとの勝連半島は、海に近くて、いつも海風が渡っているでしょう」
「ちがうの。風だけのまざりのない音って……。だってねー、私たち生まれてからずっーと、朝一番に耳にする最初の音は、空気を切り裂くジェット戦闘機の爆音だもの」
「……」
「あのねー、風と鳥のさえずりの音って、とてもやさしいのねー」
その意味を理解した瞬間、私の中の「沖縄」が打ちすえられた。私は沖縄で生まれ、16歳まで沖縄島で過ごした。そのためいつも「沖縄」を精神軸の中心に据えながら生きていると、自負しているつもりになっていた。
それがどうしたことだ!私の中の「沖縄」は、いつの間にか、今の「沖縄」から遠い位置に存在している。私の中の「沖縄」は、ただ懐かしさと過ぎ去った時をたぐり寄せるだけの故郷のレベルに成り下がっていた。子供たちが今、感じ取っている音の痛みにさえ鈍感になっている。急に恥ずかしさが込みあがってきた。
もう一度、ボタンを掛け直そう。そう思い始めているとき、上田市在住の友人Bさん、Cさんと雑談していると、「沖縄を知りたい。この国の未来に責任を負うためにも、沖縄から学びたい」との要望が強いことを知らされた。
そして、その準備が進められた。

供ノち上げ
 2004年8月5日、沖縄がくぐりぬけてきた歴史や現在を学びながら、長野県から平和問題を考える「信州沖縄塾」(塾長伊波敏男)を立ち上げたことを、長野県庁で記者会見をしました。
呼びかけ人は他に、親里千津子(沖縄戦の語り部)、四竃 更(牧師)、横田雄一(弁護士)、表秀孝(大学教授)、岡嵜啓子(塾経営者)、川田龍平(大学講師)の計7人。
 私(伊波)は記者会見で「歴史を振り返ると、沖縄はわが国の都合に振り回されたてきた」と第二次世界大戦の沖縄での地上戦や米軍基地の集中を指摘。松代大本営地下壕と多くの県民が送り込まれた満蒙開拓団など、沖縄と長野県との歴史的な共通点やつながりを踏まえ信州で「信州沖縄塾」を立ち上げた意味について述べました。そして開塾に際して、次のように呼びかけました。
私たちの国は、今、1920年代の姿かたちに昔帰りをしようとしています。私たちの肉親やアジアの人たちの命の犠牲で得た、他国との争いごとに暴カを振るわない、他の国を従えようとしない、自分たちと違う宗教や文化や習慣を尊重しますと、約束したはずの「この国」で、「現状に合わせた新しい国の形」とか、「有事に備える法律」とか、「国際的役割」や「人道支援」の掛け声がにぎにぎしく語られ、それを求める人たちが踊り出しました。「国家」や「公」を唱える声が大きい時代は、間違いなく、小さい者や弱い者がないがしろにされる社会です。
 私たちの安全と平和は、アメリカとの協力関係によって守られていると、多くの人たちが信じています。その砦であるアメリカの軍事基地が、小さな島に集められ悲鳴をあげていても、南の島オキナワの青い空と海、ひと時の癒しを求めて訪れる非日常の地であり、日常的に表出しているオキナワの痛みや苦しみは、やはり、ローカルの他人事でしかありません。私たちにとって沖縄は、一体どのような存在なのでしょうか。
 そして、沖縄にとって「日本国」は、何ものだったのでしょうか。
 1609(慶長14)年、島津藩は兵三千と船百隻で琉球国に攻め入り、それから260年、琉球国は島津藩の支配下に組み込まれました。そして、1879(明治12)年、松田道之大書記官は、官史30余人、巡査160余人、歩兵300余人を引き連れ、明治政府の強カな意志で琉球処分を断行し、名実共に日本帝国への組み人れを完了しました。
 1945年3月26日、住民44万人(犠牲者13万人)が住む小さな島に、まず、空と海を制圧したアメリカ軍548、000人(戦死者14、000人)が侵攻します。迎え撃つ沖縄守備隊は、学徒隊、防衛隊を含め116、000人(戦死者 93、900人)、圧倒的火力の前に、ついに9月7日、降伏文書へ調印したことで沖縄戦は集結します。
 本土の防波堤のための消耗戦は、多くの犠牲を沖縄に求めました。また、軍隊は生き延びるためには銃口を自国民に向けることも証明しました。破壊され、奪われながらも戦火をくぐってきた沖縄住民を待ち受けていたのは、「この国」が生き延びるため、1972(昭和47)年まで、この島をアメリカに丸ごと献上することでした。南の小さな沖縄の400年は、いつも、日本国の都合によって切り捨てられ、あるいは肩代わりを求められる歴史でした。
 「平和」の彩度と明度は、暴力と権力を使う側からは見えないものです。支配され、奪われ、傷つけられ涙を流した者は、暴力や争いごとの愚かさを知っています。
 「この国」の行く末が怪しくなった今だからこそ、「沖縄の丸ごとが平和研究の場所である」と、私たちは認識しています。沖縄発の出来事から、沖縄で生活している人たちの息吹から、醸成された文化と時間から、「この国」の今と未来を見つめ、血の通った人が生きるにふさわしい時代を見つけたいと声をあげました。
 私たちの国は今、危険な岐路に立っています。
 だからこそひとり一人が、自己決定によって自立する市民の「志」を高く掲げ、もう−度、「この国」が守るべきもの、進むべき未来、人が生きるに値する社会づくりを考え、国や思想や宗教、文化の違いを間わずに、同じ夢を持つ多くの人たちと手を取り合いながら歩き出したいと願っています。信州沖縄塾は、ゆったリと議論したい人が、それぞれの物差しで動き、たとえ違う意見をもっていても、互いに相手を尊重できる人ならどなたでも参加できます。
 ただし、あなたにつぎの質問だけはいたします。
あなたは「この国」の現状に異議を唱える人ですか?
あなたは「この国」の進路に危機感を持つ人ですか?
あなたは連帯して「この国」を変革することに賛意を持つ人ですか?
あなたは平和を守るために、自分ができることを探している人ですか?

(1) 目標
私は、沖縄の歴史と現状、文化を学びます。

私は、学んだことを糧にして、信州とこの国を検証します。
私は、それぞれの立場で行動します。
(2) 主な活動
講師を招いての講演会、DVD学習会、塾生による自主講座、沖縄ツアーなどを企画
(3) 塾生のあなたへ
年一回の総会への参加、運営委員会への参加、塾報の配布、塾保有のDVDの無料貸出し、既刊資料集の有料頒布
(4) 年会費 一般 2,000円 学生 1,000円
郵便振込先 口座記号 00530-1
口座番号(右詰めで記入) 94260
加入者名義  信州沖縄塾
(5) 連絡先

★沖縄塾e-mail:soj@ued.janis.or.jp

★沖縄塾HP http://soj.jugem.jp

. 設立から、これまでの取り組み
■2004年9月5日設立(上田市 長野大学リプロホール)
*開塾記念講演会「沖縄はもうだまされない」講師:真喜志好一さん(建築家・沖縄環境ネットワーク世話人)
*開塾には、今は亡き評論家岡部伊都子の詩が開塾記念誌の表紙をかざり、次のメッセージがカン パとともに寄せられた。
すばらしい信州沖縄塾ご開講のこと承り心からお喜びし、感謝しております。ささやかな野草花束を献じます。」

こどもらを 売ったらあかん
まごころを 売ったらあかん
こころざしを 売ったらあかん
大自然を 売ったらあかん

〔詩・岡部伊都子〕


■2004年10月 辺野古の「ヘリ基地反対協議会」にカヌー進呈
*カヌーの船体に信州沖縄塾のロゴが記入されている。

■2005年2月 パネルディスカッション「戦争を語り継ぎ、平和を紡ぐ」
* コーディネーター 下嶋哲朗(ノンフィクション作家) * パネリスト  川満美幸(沖縄国際大学生)
* パネリスト 大塚 拓(長野大学生)親里千津子(沖縄戦の語り部)
■2005年5月 「消えゆく沖縄の山・川・海」
*「沖縄の自然破壊と住民運動」 講師/宇井 純(沖縄大学名誉教授)
■2005年9月 1周年記念特別講演会「沖縄近現代史を学ぶ」
*宜嶌臓峅縄近代史」(新城俊明/嘉手納高校教諭)
*狭嶌臓峅縄現代史」(新埼盛揮/沖縄大学前学長)
■2005年10月 第1回沖縄の家庭料理教室
*「食はくすいむん」  調理師/伊波米子
■2006年5月 第1回沖縄ツアー
*「沖縄の地に自分の足で立ち、今の沖縄をそれぞれの目でみて、自分自身の肌で感じよう!」
※テレビ信州が同行取材  「ある市民グループの沖縄訪問」
■2006年9月 2周年記念特別講演会 
*テーマ「沖縄は拒否する」  講師/目取真 俊(芥川賞作家)
■2007年2月〜10月 「連続講座・小さいものの視座」
機岾ッ健次郎さんと沖縄」小宮山量平(「理論社創業者」・作家)
供嵜略以前のアイヌ社会」長谷川 修(アイヌ解放同盟)
掘崑佛牢櫃ら学ぶこと」吉川由紀(元対馬丸記念館専門員)
検峅縄の自立を阻むもの」島田善次(宜野湾告白教会牧師)
后峅縄の財政〜基地なき沖縄を考ええる」宮本憲一(大阪市立大学名誉教授)
■2008年3月 「カメラの目/人間の眼」 
* 講師/石川文洋(報道写真家)
「写真を単なる情報として捉えるのではなく、人間の眼(感性)を通してカメラマンの意思を読み取る」
■2008年8月 「米軍基地沖縄から主権在民を問う!」 
* 講師/山内徳信(前読谷村村長)
「村独自の自治体外交で、米軍基地の中に読谷村役場を作る」
■2008年9月 ドキュメンタリー映画「ひめゆり」上映
*上田市「でんき館」で、柴田昌平監督のトークをいれて6日間上映
(小中学生含む470名が観賞)
■2008年11月 「教科書検定問題と大江・岩波裁判」 
* 講師/石原昌家(沖縄国際大学教授)「『集団自決』をキーワードとして」
■2009年2月 第2回沖縄の家庭料理教室
*上田市城下小学校「家庭実習室」 調理師/宜野座久美子,アシスタント/宜野座映子
■2009年6月 「やんばるの森を通して〜沖縄の自然を考える」 
* 講師/伊波義安(NPO法人奥間川流域保護基金代表)
■2009年10月 五周年記念公演「琉球の芸能・伝え継ぐ力」 
* 長野市勤労者女性会館「しなのき」   地謡/目取真永一 他, 舞踊/宮里加代子 他

■2010年3月〜2011年11月「連続講座 NO1〜11号報告集」 
*塾生(11人)の自主講座「私が考える沖縄問題〜学びあい・知り・伝えあう」
■2010年5月 「連続講座8回 私たちがふれた・感じた・沖縄」
*報告者 広沢里枝子(SBCラジオキャスター)/盲導犬ネルーダ,芹澤文子(臨床発達心理士)
■2010年10月 信濃毎日新聞に意見広告を掲載 
「この豊かな海を戦争のための基地にさせない!」
* 賛同者数/4366名(記名者数3805名・匿名賛同者数561名)* 賛同金/514万円
■2012年2月 パネルディスカッション 「地方マスメディアは『沖縄』をどのように伝えてきたのか?」
主催/信州沖縄塾 後援/長野県・長野県教育委員会・長野市・信濃毎日新聞
開催場所/長野県民文化会館
*コーデネーター/伊波敏男(信州沖縄塾塾長) *パネリスト/中馬清福(信濃毎日新聞主筆)
*パネリスト/ 中平雅彦(高知新聞編集局長)具志堅勝也(琉球朝日放送報道制作局長)
■2012年11月 第2回沖縄ツアー 
11/7 第32軍司令部後→首里城
11/8 嘉手納基地→普天間飛行場→宜野湾市役所→沖縄愛楽園
11/9 今帰仁城跡→伊江島→わびあいの里→土の宿
11/10 名護市→東村・高江
11/11 ヤンバルの森
■2013年6月8日〜29日 映画「ひまわり」上映 
* 主催/上小地区上映実行委員会(上田市、東御市、丸子町1000余人が観賞)
■2014年4月10周年記念講演「ひとり芝居・にっぽんじん?」
* ひとり芝居/北島角子(琉球女優)
* 琉球舞踊/新里春加  * 絵本朗読/新垣武史  * 報告・沖縄の今/宜野座映子
■2014年8月「報告集会」辺野古のたたかいに参加して
* 辺野古の闘いに連帯して(沖縄塾派遣) 信州大学生・安永義祐さん(8/12〜8/20)
■2015年5月第3回沖縄ツアー
* 辺野古を自分の問題として (信濃毎日新聞記者が同行取材 14名)
■2015年8月「沖縄フェア」
 第一幕】「平和な日本、沖縄をつくるために!」/長野大学リブロホール
*「アメリカから見た日本」ピーター・カズニック(アメリカン大学教授)
*「日本人の沖縄への責任」乗松聡子(ピース・フィロソフィー・センター代表)
【第二幕】「沖縄映像祭 in UEDA」/長野大学4号館
* NPO法人文化経済フォーラムによる24作品を上映
■2016年3月 国と県の「和解」、辺野古新基地建設事業は今後どうなるのか?」
* 講演者 北上田 毅(沖縄平和市民連絡会・ヘリ基地反対協抗議船船長)
■2016年6月第4回沖縄ツアー
* 県民大会参加 「辺野古・高江の闘い」への旅 (4名)
■2016年8月沖縄からのメッセージ「沖縄の今を撮り続けて」
* 「裂かれる海」を制作して/島袋夏子 (94名)

検イ海譴泙任鉾行したもの
〜牢号「沖縄はもうだまされない」 真喜志好一
特集号「沖縄の痛み・平和をつくり出す」 平良夏芽
F箪弦 「戦争を語り継ぎ・平和を紡ぐ」 下嶋哲朗
て箪弦罅峅縄の自然破壊と住民運動」 宇井 純
テ段鵡嶌楕鷙霆(第一講座)「沖縄近代史」 新城俊昭
ζ段鵡嶌楕鷙霆(第二講座)「沖縄現代史」 新崎盛暉

第1回沖縄ツアー報告集「沖縄に学びこの国の今を見つめよう」
特別講演会報告集「沖縄は拒否する」 目取真 俊

連続講座報告集 「小さいものの視座」 信州沖縄塾
自主連続講座報告集(癸厩罅11号) 広沢里枝子、芹澤文子他、運営委員10名
「地方マスメディアは『沖縄』をどのように伝えててきたのか?」信州沖縄塾in長野
第2回沖縄ツアー「参加者感想文集」
信州沖縄塾in上田「星条旗と日の丸の狭間で〜沖縄返還と核密約」
信州沖縄塾in上田「捨てられた石」〜在日として生きてきて、見出したこと〜
信州沖縄塾in上田「米軍再編と岩国基地〜日本の空は今も占領下」
姐岷蕾駟鷙霆検嵎刃造米本、沖縄をつくるために!」
★信州沖縄塾「事務局通信/沖縄塾塾報」(癸厩罅31号)

后2016年度 運営委員及び会計監査
*塾 長 伊波敏男
*副塾長 大村忠嗣
*事務局 村山 顕
*会 計 遠藤正子
*運営委員 小林袈裟雄 門屋和子 橋本春雄 正村正博 横田雄一 竹内茂人
*会計監査 安藤しん子

此タ兇衒屬辰
 お招きしたゲストの顔ぶれは、沖縄の市民運動の第一線に立って担っている方々である。それはまた、信州沖縄塾への期待と評価を、沖縄の皆様から受けていることになる。しかし、私にとって沖縄問題への責任 の負い方は不十分と言わざるを得ない。
 沖縄問題を学ぶことによって、この国の現状を知り、知ることによって自分の立ち位置を明らかにし、自分ができることから責任を果たしたいものである。信州沖縄塾は塾生と賛助塾生を含めても、わずか200人弱の小さな市民組織である。塾生自身が自ら関心のある課題について学び、講師となって問題提起をするまでにいたった。思いを曖昧にすることなく、息長く歩みつづけたいと願っている。

 そして、信州沖縄塾の新たな10年の歩みが始まった。

                                                                                     

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ブロッコリーの森から

■2016.08.21 【115】
8月15日から18日まで工事は盆休をとる、と新聞報道された。沖縄では盆の行事は正月同様重要な行事だ。作業員も休みたいだろうし、工事が4日間止まるのはありがたい。せめて先祖をお迎えし(15日がウンケー)、お送りする(18日のウークイ)3日間は静寂に過ごしたいものだ。数日でも森の動植物にも静かな日となるだろうか。19日はまた工事が再開される、何とか阻止したいと早朝5時に東村の入口平良で集合、そのままメインゲートに移動し6時から集会。500名集まったという。いつものダンプ情報が入ってい来ない。違法の連続で工事を強行する防衛局も500名の集会中には手を出さなかった。

集会が終わった10時頃、ダンプが西海岸の砂利採石場を動いたという。メインゲートで、N1ゲート前での市民の激しい抵抗で昼過ぎまで砂利搬入を遅らせることが出来た。翌日も早朝6時に60名強の市民がN1ゲートに集結。集会中に車に分乗した北勝の作業員の車がゲートに入ろうとするのを皆で座り込み阻止。車両6台は一旦南下しメインゲートに入った。彼らはメインゲートで車を変え一度N1を北上し、私たちの隙をつき、徒歩でゲートから入って行った。その後我々は高江橋に移動しそこでダンプを阻止しようと11時過ぎまでがんばった。

今週は初めて作業員の車を停める、ダンプの侵入を大幅に遅らせるなど多くの市民の力の結集で成果が見られた。非暴力の抗議でも大勢の力が結集すれば工事を追い詰めることはできる、そう思えた日々であった。しかし、ダンプ3台が同時に現場に入って行くなど、内には広場も拡大され、工事もまた着々とすすんでいる。少しでも工事を押しとどめたい。高江に来て下さい。そして全国でこの非道な工事の現状を広めてください。現場での闘いと世論を結びつけ工事を止めよう。

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ブロッコリーの森から

■2016.08.13 【114】

久しぶりにホントウアカヒゲがN1表の小さなテントに寄ってくれた。すっかり様変わりしてしまった光景、昼も夜もずらりと並ぶ人垣、月明かりを打ち消す照明、愚かな人間の行為にも声を張り上げることもしない。寄ってくれたと喜んでもいられないのかも。毎日毎日森の小道に砂利が敷き詰められいく。奥では重機が音をたててその砂利をならしているのだろう。胸高で直径4センチ以上の違法伐採を認めながらも工事強行を続ける。森の中がどうなっているのか私たちには分からないが、逃げ出して来たのかもしれない。こうして動物たちは静かに立ち去る、動植物たちは抗議もせず滅びていく。
私たち人間は非暴力でこの強権に立ち向かっている。少しでも工事を遅らせるため、県道70号線場で雨に打たれ続けながら抗議を続ける人たち、Nに迫る工事車両を1分でも遅らせようと路上に出ていく車。砂利を積んだダンプは黄色い追い越し禁止線をパトカーの誘導で、市民の車を停めさせ、渋滞を造らせながらも大名行列のように進んでいく。この前、辛淑玉さんが来た。島ぐるみの闘いを国ぐるみみの闘いにして行こう、との勇気を貰える発言。現場で少しでも遅らせている間にこの違法な工事を日本中で、アメリカから、国連から、安倍政権に圧力をかけて中止に追い込もう。

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ブロッコリーの森から

■2016.08.06【113】

8月3日早朝、高江に友人と向かう。N1ゲートでは市民を寄せ付けないように大量の機動隊の車両が南北に連なり私たちは手前に車を置き歩いてゲートに向かう。8時前は大量100名を超えるの機動隊員・民間警備員・防衛局職員が県道70号線の両側に並び市民を寄せ付けないようガードを固める。そして警察・機動隊に先導されて10トンダンプが2台ずつ森に入って行く。

14台入ると、ゲートは閉まり、さらにコンテナ車と機動隊のカマボコ車で壁を作り、後は民間警備員と数がぐっと減った機動隊がその前に立ちふさがる。ゲートの中は防衛局員。これが毎日の光景となった。金曜日はこれにプレハブを積んだユニック車が4台、土曜日は散水車と、その時々工事の進行を思わせる資材が追加される。N1裏に停めている車両・テントの撤去期限を法的に権限のない防衛局が勝手に定めた5日、強制排除を警戒し、夜6時から集会がもたれた。

私は手前での車両の誘導担当で実際の集会には参加できなかったが次々と県内外から市民が駆けつけその多くが泊まり込むという。翌朝N1裏近くまで行ったが市民の車が200−300台ぐらいか、ぎっしりで、とうとうN1裏テントまで行けなかった。この政府の非道・違法、それに非暴力で立ち向かっている状況は全国に伝わっているだろうか?多くの障碍者を殺傷させる事件が起こったことを新聞で知った。ナチスが最初の犠牲者としたのは障碍者だった。日本という国が得体のしれない不気味で残虐な国に日々近づいているように思える。無表情でゲート前に立つ機動隊員がナチスの親衛隊員のように見える。
早朝の新川ダムから見た朝焼けだけが今癒してくれる。

 

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ブロッコリーの森から

■2016.7.30 送信【112】
7月26日(火)から30日(土)まで高江にいた。火曜日朝8時からN1に入っていく車両のチェックをした。毎日10トンダンプがほぼ10台砕石を積んでN1に入っていく。新しく防衛局が造った監視カメラ・夜間照明付きのゲートのこちら側から抗議の声を聞きながら、それでも途絶えることなく次々と入っていく。初めはバックで1台づつ入っていた10トンダンプが、昨日からは頭から先に2台づつ入っていった。ダンプがターンできる広場まで砂利が敷き詰められたのだろう。

その先には崩落個所があり道幅は極端に狭くなっている。工事は簡単ではないとしても、日々目の前でダンプが入っていくのを見続けるのはつらい。この10台のダンプを入れるため、機動隊が80名ぐらい道の両側にずらっと立ち、ゲートの前にはアルソックの警備員が20名たち、ゲートの中には防衛局員が8名ぐらい並ぶ。ダンプが入ると機動隊の数はぐっと減る。4月末の女性暴行殺人事件を受けてパトロールと称して沖縄に派遣された防衛局員はその任務に全く就くことなく、全員が高江に派遣されたことが明らかになった。夜もアルソックが8名、機動隊数名、防衛局員がゲート内に4名と24時間警備している。N4のAとB,メインゲート、N1裏、G・Hに通じる入り口にも24時間監視体制を敷いている。目に見える人だけで150名位か、それを1時間交代、夜間交代等をかんがえると一体どれだけの人とお金を費やしているのか。過剰・無用・違法な警備で沖縄を威嚇している。この人と、金額はもっと必要とされるところに費やすべきだろう。

アメリカの貢物を作るために、県民・国民を踏みにじる政府は1日も早く退場させねば。N1裏からの機材の搬入が狙われている、そこに行くには新川ダムの橋を通らねばならないが、10トン規制がある。今も無法状態で工事を強行しているが、この橋を重量オーバーで通させてはいけないと早朝はその前で監視をした。警察・防衛局の車両の通行が激しくなる早朝6時前のここだけに以前のような静けさが残っている。アカショウビンがずーっと美しい鳴き声を聴かせてくれた。これもいつまで聴けるのだろうか。


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