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辺野古有志の会/ティダの会

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沖縄県知事選〜現地からの通信

短信−52018930日)

 ステルス作戦と伊波義安さんのこと

 辺野古新基地建設問題を伏せて、企業ぐるみで期日前投票をやらせる選挙の手法を週刊金曜日・沖縄県知事選挙特集は「ステルス作戦」と呼んでいます。すでに大田知事時代の選挙のときに地元大手企業は投票所の前にテーブルを出して投票をすませた自企業の勤務者に記帳させていたとのことです。

 今年2月の名護市長選挙のときも、投票所を出た勤務者をして用意したノートに記帳させていたという話を聞いておりました。名護市西海岸の選対事務所の事務局長(恩納村の米軍実弾演習施設建設を断念させた時の闘争リーダー)さんは、自分の息子(那覇で会社勤務)から聞いた話として、息子の友だちは勤務先の会社から期日前投票をしたことを写真によって証明することを求められたということでした。この話をきいたとき、まさか投票所のなかで写真を撮っているとまでは思いませんでした。ところが、投票用紙に書いた候補者名をシャメにとってすぐ会社へラインで送るようになっているとの事実を掴んだと、今朝本部町の友人が伝えてきました。

 公職選挙法には写真を撮ってはいけないとの規定はないとのこと。私の友人は、この事実を新報とタイムスの記者に伝え、45日前に両紙に「ステルス作戦」として記事に載ったということでした。企業労働関係の従属性を悪用するこうした手法は、個人の自由な選択を奪い、個人を政権=企業の利益のためにロボット化するものであり、民主主義を根本から破壊するものといわざるを得ません。

 926日、塾長から連絡があったということで、義安さんから電話をいただきました。うるま市では、知事選と県議補選と市議選と三つの選挙が重なっているなか、市民団体が知事選を担い、義安さんは1か所10分間のポイント演説を市内各所でやっておられるとのことでした。831日の週刊金曜日の言葉を援用されて、どうしても沖縄の魂をもった玉城デニーを勝たせ、ヤマトに魂をうった佐喜眞に勝たせるわけにはいかない、と強調されていました。

 ちなみに、週刊金曜日は、翁長前知事が玉城氏について「戦後沖縄の歴史を背負った政治家なので、今後沖縄を象徴する政治家になっていくのではないか」と語っていたと伝えています。彼は、沖縄に駐留していた海兵隊員を父と伊江島出身の母との間に生まれ、父の消息は不明のまま、幼いころはいじめられ、貧困も経験し、国会議員になると本土選出の議員から「日本語読めるんですか? わかるんですか?」と差別的な言葉を浴びせられたこともある、と伝えています。「沖縄の魂を持った玉城氏とヤマトーに魂を売った佐喜眞氏―沖縄のリーダーとしてどちらが相応しいのか。有権者の責任は重大だ。」と週刊金曜日は結んでいます。(ジャーナリスト西山隆則)

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沖縄県知事選〜現地からの通信

短信−42018928日)

 今回は、目取真俊さんです。新基地建設問題を考える辺野古有志の会/テイダの会が92223日の両日県庁前広場、那覇新都心、宜野湾市などで繰り広げた辺野古住民から訴える行動は、目取真俊さんと前回紹介した金城武政さんが中心でした。あまり人と群れない俊さんには珍しいことでした。俊さんは、ここ数年、カヌーを単独で操って海上阻止行動に打ち込んでこられました。

俊さんの上肢は労働者のカイナ(腕)のようにたくましくなっています。連休明けの25日には、彼が8時間も基地に拘束された弾圧に対する抗議の裁判(国賠訴訟)も行われていました。

 県の承認撤回により埋立て工事がストップした今、俊さんは陸に上がって知事選のために連日チラシを腕に抱えて選対事務所を一人で出ていきます。「行動する作家」の面目躍如たるものがあります。皆と目指す方向は同じですが、動き方は単独行動的です。あたかも衆からやや距離をとることによって本質を見抜く作家としての営みに忠実であるかのようです。かといって俊さんはいつも孤高に口を閉ざしている訳ではありません。腕にチラシを抱えて事務所を出ていく前に、国語教師だった体験から、今の子どもたちの国語能力の貧困さを具体的に語っていかれます。

 米映画の字幕が読めず、日本映画を望む生徒の話、小学生時代にはよく本を読むが中学になると部活に時間をとられて読まなくなる話、部活が教育に対する弊害となっていること、今の若者は字数に限りのあるツィッターに依存すること、知事に権限がなくても携帯料金4割削減を県知事選の相手候補が打ち出すだけで携帯の費用に関心のある若者を惹きつけてしまうことなどつぎつぎと話されます。

 聞いていると精神・モラルを含めた日本という国の衰退の遠因は教育の貧困化にあるのではないかと考えさせられます。同時に俊さんの作家としての執筆時間が連日の基地反対のための活動によって阻害されている現実−自律的な経済の発展のみならず、文化の発展も基地によって妨害され続ける−これも沖縄の現実です。

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沖縄県知事選〜現地からの通信

★通信障害のため情報が送られてきません。ご迷惑をおかけしてすいません。受信次第ブログに掲載いたします。
選挙結果】
*玉城デニー
 獲得票数 39万4,768    得票率    55% 
*佐喜眞淳   〃   31万5,621       〃     44%  
〔投票率 63.24%〕  
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沖縄県知事選〜現地からの通信

■短信−3 (2018928)

 今朝の琉球新報 社会面に「個別補償 揺れる辺野古」との大きな見出しで、区民「無いなら基地反対」とのサブタイトルもついています。「説明を」総会開催要求も ともあります。

 ことの発端は、長い間、区民は現金補償があるものと信じ込まされてきたのでした。一世帯15000万円と言われ、これから紹介する金城武政さん(61)などは、「あんたは反対しているから貰えないよ。」と言われていたものでした。

 上記の新報記事には「政府とどんな交渉をしているのか。これまでも報告を求めたり、議事録公開を要請したりしてきたが、何一つ応えない。不透明なまま『容認』を押し付けられている」との武政さんのコメントを紹介しています。

 731日に防衛局が現金補償なしと通知したのに対し、辺野古区の行政委員会(18名からなる最高決議機関、他の区では総会が最高決議機関)が何も対応しないことに対し、総会開催要求が出たり、地区内の不満・不信が高まっていました。26日開催の行政委員会に武政さんは他の5名の区民ともに傍聴をかちとったのでした。

 武政さんの母堂は、1974年辺野古の自営の店で米兵に殺されました。当時高校生でした。20048月沖国大にへりが落ち、翌月から小泉政権は辺野古沖のボーリング調査を始めようとしました。このとき、武政さんは仕事がないので警備会社に勤務し、反対運動に敵対する立場に立たされましたが、運動に共感し、会社を辞めました。以来、表に出ている反対派地元住民として、運動にとっては貴重な人材、敵にとっては妨害者として、にらまれてきました。(12年の間に4回逮捕、今も公安が監視しているもよう)

 私が彼と会うのは、年に23回ですが、会うたびにたくましく成長していることに驚かされます。今も形は選挙運動ながら、辺野古の住民としての新基地反対を強く訴え続けています。辺野古区の民主化と新基地反対が彼の人格のなかで一つに融合しています。

 

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沖縄県知事選〜現地からの通信

■短信−2 (2018926)

  前回のご紹介した奥間さんは、23日中部での活動後、那覇に泊まり24日の浦和の1,000人集会へ向かわれたとのことです。

 今回は、大城敬人さん(オオシロ ヨシタミ名護市議会議員、9日の選挙で11回目の当選、現在77)のことをご紹介します。彼は22年間辺野古反対で頑張ってきました。島袋文子さんをはじめ辺野古の反対住民の強い支持を受けてきております。24日の名護市長選挙のさい、辺野古の賛否を明らかにしなかった武富市長が出現すると、六月の市議会では政府から派遣された32歳の職員が、議員の質問に対し全て答弁にという異常な事態が生じました(九月議会は28日から)

 一番きびしく批判するヨシタミ議員に対して選挙で2名の刺客(女性2名、23位の高位当選)をさし向けてきましたが、これをはね返し、11回目の当選を果たしました。知事選で相手候補は辺野古是非に触れません。 彼が知事になれば、名護市の例が示すように県政は政府に支配されてしまう。こうした危機感から彼は、連日辺野古久志の久志三区や地元の三共地区(辺野古⇔伊江島コース)で訴え続けています。訴えているポイントの一つは、今回の知事選における一票の意義です。

 知事が公有水面埋立の可否について権限を持っている。(総理大臣ではない)有権者の一票が新基地建設を止めることができる。まだ間に合う。平和で豊かで自立する沖縄を、子や孫のために残していこう。

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沖縄県知事選挙〜現地からの通信

沖縄塾の塾生(UY)から、情報が送られてきますので掲載いたします。

■短信−1 (2018924)

  旅に出ると、風景、動植物も気候などが注目されますが、何と言っても一番の魅力は人です。出会った人を中心に送ります。まずは、奥間政則さんです。選挙事務所第一日目は22日ですが、朝、奥間さんがやってきました。彼とは、大分前に伊波さんと一緒に「狸」で一夕ともにしたことがありますが、今年は諏訪と横浜で会いました。

 彼を含めて辺野古からの訴えが県庁内広場でありました。彼はウチナ−ンチュの立場から、また土木技術者としての立場からマイクで一生懸命訴えていました。場所を移した新都心の街角(集会が行われた近く)でも同様でした。終わってからさらに宜野湾へ足を伸ばしています。翌23日にも宜野湾でのヘノコンチュの活動に参加されておられます。

 奥間さんが、基地反対運動やハンセン病差別の語り部になられたのは、意外と最近のことで、3年前の2015年からです。いつスタートしたかよりも、その中味が重要です。古宇利島へ架けた橋の橋脚建設の現場責任者だった経験を生かし、大浦湾の地盤の問題について、貴重な情報を専門学者らに伝え、専門家らのチームづくりに貢献されておられます。このように専門家の助力があって、はじめて大衆運動は具体的に勝利の展望を切り開けるのではないでしょうか。

 〔今朝の報道、タイムス「玉城先行」、新報「互角」〕

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親子で沖縄の文化体験の旅!!

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【沖縄の誓い】平和の詩 「生きる」

今日は決して決して忘れてはならない沖縄の「慰霊の日」です。沖縄全戦没者追悼式で、 沖縄県浦添市立港川中学校3年 相良倫子さんが、平和の詩「生きる」を朗読されました。
…………………………………………………………………………
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
 
私は今、生きている。
 
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。
 
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
 
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
 
私はこの瞬間を、生きている。
 
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
 
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
 
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、
私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
 
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。
 
私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、
絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、
あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
 
あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
 
今を一緒に、生きているのだ。
 
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
 
私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
 
大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
 
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。
 
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
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ブッロコリーの森から

■2017年9月23日 160
 9月17・20日高江に行った。
 防衛局が9月に終了とされている。G地区への進入路の工事はほぼ完成らしい。20日久々に作業員への工事阻止の活動を行った。今日も超早朝から多くの有志が参集した。作業員の動きは遅く、数も半分ぐらいに減っているように感じた。この工事は終わりが近いのかもしれない。私はG・Hゲートの前にいた。いつも通り作業員たちはなんて手かに分かれ高江橋の近くから入ったりしながら、G・Hには3名の作業員が姿を現し、強引に脇道から入ろうとしたが、依然作業員が入って行ったその入り口は海兵隊の名でロープが張られ侵入し難くなっていた。結局少し離れた脇の草むらから入っていった。また、高江橋とG・Hゲートをウロウロした作業員の別のグループは結局高江橋あたりから入った。
 G・Hゲートの前には一時交代要員の民間警備員40名がずらりと1列に並ぶ異様な光景が出現した。ここだけにこれだけの帝国警備の警備員、N1にも同様にアルソックの警備員が、N4にも数名の警備員が24時間いる。民間人に守られ、機動隊が出動しなければできなかった工事がどういうものか、沖縄に寄り添うという言葉の空虚さをまざまざと見せつけられる思いだ。その費用は全て日本人の税金で賄われている。
 朝4時から集まり始めた有志は9時に解散した。工事も9月で終わりではないだろうが、ヘリパッドが完成して残されるのは、更なる環境破壊と、事故による水がめ汚染の恐怖と、騒音・事件・事故による住民の苦痛だ。北部訓練場の全面返還・全基地撤去の日まで諦めることなく頑張りましょう。

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