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事務局通信・塾報

第27号(2015/07/08)
国の屋台骨が揺らいでいる(塾長 伊波敏男)
ピターカズニックさんをお迎えするにあたって
★乗松聡子さんをお迎えするにあたって
★第3回沖縄ツアー報告

第26号(2015/04/05)
2014年総会報告
大浦湾埋め立て反対運動から感じたこと(内田百岳)
辺野古のボーリング調査再開に関しての講義声明(塾長 伊波敏男)
沖縄県民の民意に反する、政府の暴挙に講義する声明(沖縄塾有志)

第25号(2014/08/06)
★「上田市市民フェスティバル2014 〜何だって平和が一番〜」報告  
  テーマ「戦争ができる国への道」/丸山貢一(信毎・論説主幹)
★最高裁第2小法廷「沖縄密約」不開示確定に抗議する声明
★辺野古新基地建設の着工準備に抗議します
★「ブロッコリーの森から」沖縄塾ブログから転載記事
★「ヤマヒデの沖縄便り」沖縄塾ブログから転載記事

第24号(2014/05/20)
10周年記念公演特集「ひちり芝居」「琉球舞踊」「朗読」
★感想‐林袈裟雄遠藤正子B嫉蓋
★「ニフェーデービタン!」(宜野座映子)

第23号(2014/02/01)
名護市長選挙について(堙塚紺譟
★特定秘密保護法と沖縄の戦いについて(大村忠嗣)

第22号(2013/10/15)
★2013年総会報告

第21号(2013/07/24)
2013年総会のお知らせ
映画「ひまわり」上映会報告
★「辺野古埋め立てに関する意見書」の取り組み
★書籍の紹介「島惑ひ」著者:伊波敏男

第20号(2013/04/18)
緊急 特別塾報の発行「4月28日は屈辱の日」(塾長 伊波敏男、他)
★「建白書」

第19号(2013/02/05)
沖縄の怒りを感じた「第2回沖縄ツアー」
講演会「核持ち込みの真実を知る!」/具志堅勝也
参考資料〜「沖縄 忘れないで」

第18号(2012/10/15)
2012年総会報告
総会会場に掲げられた大漁旗〜大漁旗が語る絆〜(門屋和子)
★あらたに運営委員になって(鶴田男・正村正博)
★沖縄の感想と報告(堙塚紺譟
★浜岡原発を見学して(村山顕)

第17号(2012/08/25)
★第2回沖縄ツアー
★私にとっての沖縄塾(遠藤正子)
オスプレイ配備に抗議の要望書提出

第16号(2012/06/10)
★シンポジューム「地方マスメディヤは『沖縄』をどのように伝えてきたのか?」
「信州沖縄塾in長野」を振り返って(大村忠嗣)
★「復帰」40年と独立の現実性(堙塚紺譟

第15号(2011/09/15)
★2011年 総会報告

第14号(2010/02/11)
★報告「名護市長選挙をとおして」
(堙塚紺譟

第13号(2009/12/20)
★開塾5周年記念
「琉球の芸能・伝え継ぐ力」
★信州の秋を感じる旅
(宮崎英夫)

第12号(欠番)

第11号(2009/03/30)
石原昌家さんの講演会報告「教科書検定問題と大江・岩波沖縄裁判」〜『集団自決』をキーワードにして〜
★「集団自決」という語の使用をめぐって(堙塚紺譟
第2回沖縄家庭料理教室〜沖縄の家庭で作られる「お菓子」

第10号(2008/09/28)
★2008年総会へのメッセージ

第9号(2008/06/30)
★報道写真家 石川文洋さん 
〜カメラの目/人間の眼〜

第8号(2007/11/25)
★塾長のあいさつ

第7号(欠番)

第6号(2005/12/20)
「信州沖縄塾講座」
伊波塾長あいさつ
今年、最後の信州沖縄塾は、「辺野古の今とその沖縄のこころ」ということで、沖縄から横田さんをお迎えしました。
 さて、辺野古に現在の輸送ヘリに比較して速度で2倍、積載量で3倍、航続距離で5倍の機動能力を持つという大型輸送ヘリ「オスプリ」の離発着可能なヘリ基地の建設をねらっています。オスプレイは爆音が大きくて普天間基地では使えないし、今アメリカ本土で試験飛行をしていますが、すでに3機が墜落事故を起こしている。そのヘリを沖縄に持ってきて使おうとしています。日米政府が辺野古になぜ普天間飛行場の移設にこだわっているのかを、琉球朝日放送が「大浦湾ヤードの正体」というタイトルで昨年の4月7日に報道をしています。
もう一つは、辺野古や北部に基地機能を集中する目的は、自衛隊との共同使用というのが明らかにされています。そうすると今まで言われていた米軍再編だけでなく、沖縄における自衛隊と米軍との協力関係で、沖縄の基地を固定化していくという動きが始まっています。私達はこの問題を、今、辺野古はどういう状況なのかということを実際に行動をしています横田さんに生々しい報告を聞こうと企画しました。
 もう一つ言われていることは、アメリカ軍が今回の編成に対して、日本政府は1兆円の予算を用意して対応しようとしています。このことを、私達はやはり断じて許せないと言うことを含めて、横田さんの報告を聞いて、自分は何が出来るのかを一緒に考えていきたいと思います。では横田さんお願いいたします。
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テーマ 「辺野古の今と沖縄のこころ」
講師:横田雄一さん
 今朝、那覇を発ち、午後2時過ぎに上田駅に降りますと冷たい風にさらされてびっくりしました。那覇は20度ぐらいで、15〜6度以上の温度差があると感じました。
 私が初めて辺野古について関心を持つようになったきっかけは、今から2年前の5月、那覇防衛施設局のボーリング調査が警戒されているなか、大浦湾漁港、辺野古沖を視察致しました。
 その時に辺野古漁港の側にあります「命を守る会」の事務所を訪れたさいに、「92才の『おばぁ』が、ボーリングを始めれば波の上に座りますと言っています。私達はそういうことをさせないために頑張っています」との話を聞きました。私は、「おばぁ」がそこまで思いつめていることに対して、「ほっておいていいんだろうかと」思い、そういうところから辺野古に行くようになりました。
 昨年の3月、再び辺野古の海上に出ましたが、その翌月の4月19日から、那覇防衛施設局の作業が開始され、それに対する阻止行動が始まって、「座り込み」になって行ったわけです。
8月13日に、沖縄国際大学の本部棟にヘリコプターが落ちるという事件がありました。那覇施設局はそれを逆手にとった形で、9月から海上における作業を始めたわけです。
 年が明けて、今年の1〜2月頃に「ヤグラ」での座り込みに参加して、4月から、沖縄に滞在するということで現在に至っています。辺野古に行って強く感じたことは、毎日座り込みを続けている人たちがいまして、そういう人たちと接することによって、「人が本気になって運動をやる」と言うことはこういうものなのかと感じました。「命を守る会」の事務局も、若い人が運動に飛び込んで来ています。


 そして東京からここへ定着して、辺野古の運動に専念している若い女性もいます。つまり、辺野古の闘いというのは、沖縄の人たちを惹きつけているだけではなくて、遠く本土の人、それも若い人を惹きつけるだけの魅力のある運動だろうと思います。また、生粋の漁師が先頭になって闘っていることが、ボーリング阻止勝利の大きな力となりました。
 辺野古地区で苦しい闘いを強いられてきた人達が、「沿岸案」が出てきたことによって、だいぶ空気が変わってきています。大浦湾が破壊されると言うことで名護市の漁業組合が反対、さらに沖縄県漁業組合連合会も反対ということで、今月23日に、昨年を大幅に上回る、百隻の船を大浦湾に動員して、反対の大デモストレーションをする状況も生まれてきています。
 一方、那覇防衛施設局は、台風を口実に「ヤグラ」を全て撤去して、作業を止めていますから、いま海上でも、陸上でも直接ぶつかることはとりあえず無いわけです。言うならば、「来るべき決戦に備えた、嵐の前の静けさ」と言うことでしょうか、そうした状況が続いています。
■沖縄のこころ
 沖縄は、沖縄戦という過酷な体験を強いられたわけですが、辺野古で座り込みをしている人から、「沖縄戦の7年後、サンフランシスコ条約ができて、日本は占領から独立へとなり、沖縄はアメリカの統治下に置かれた。
 そのことについて沖縄は何ら相談を受けていないし、決められてしまった。それから、祖国復帰のときも、沖縄の人は平和憲法のもとに戻って、基地のない沖縄にしたかったのに、そういう沖縄の人の願いとは全く逆方向になってしまった。沖縄の運命を、自分達の手によって切り開いてくることが出来なかった状況に沖縄は歴史的に置かれてきた。」と言っていましたが、これが「沖縄のこころ」なのかと思いました。
 昨年9月から始まった海上戦も、1週間に5人も怪我人が出るというような状況が生まれたなかで、テント村のカヌー隊だけではなく、周辺漁民も応援に駆けつけたため阻止行動が成功しました。那覇防衛施設局は、台風が来たりして作業が事実上進まなくなりましたので、4月半ばから夜間作業をはじめました。
 しかし、これも「24時間体制」の阻止行動を取りましたので、結局実際に行われたのは、僅か2日間で終わりと言うことになって、事実上1999年に沖縄県と名護市を入れて合意した、「辺野古沖の海上基地案」はもう出来ないと言うことを、日米政府が言い出すような状況が生まれました。従って現在は、辺野古沖の海上基地案というのは阻止ができたと、中間的に総括ができると思います。
■行動する部隊と支える世論
そこで、なぜ阻止出来たのかということを、総括をしておく必要があると思います。もちろん具体的に、作業隊が作業をしようとすると、その前に飛び込んで作業阻止するという部隊があればこそ、阻止ができたと思います。
 けれども、向こうは国家権力ですから、機動隊などで物理的に強制的に排除して作業を進めることは、これはやろうと思えばやれたと思います。私はなぜやらないのだろうかと、むしろ疑問に思ったぐらいです。
これは、一つには、沖縄におけるメディアの姿勢というのがあると思います。二つめには、冷戦崩壊後、アメリカの戦争政策に対する人々の評価というものがあるでしょうし、沖縄の運動が培ってきた底力というのがあります。
 そして三つ目に、県民の八割以上の民衆が辺野古への移設に反対していると言う、この県民世論というものがあって、この阻止行動が生きたと評価をしています。要するに、精鋭に行動する部隊がまずあって、それを支える広い裾野がある。こうした立体的な構造があったればこそ勝てたのだろうと思います。
■名護市長への手紙
10月24日頃、岸本名護市長が「浅瀬案」なら容認するかのような発言があって、これに抗議をするために、毎日、市長室の前に集まり市長宛の手紙を読み上げる行動を展開してきました。その市長宛に手紙を書いた一人に、宮城弘俊さんと言う人がいます。この手紙には、沖縄の嘆きが語られています。
 「香港はイギリスとの契約で百年で戻ったが、沖縄は一体いつ帰ってくるのですか。沖縄は空も海も陸も取り上げられています。そして、大和に薩摩・南洋貿易・大戦と三度も質に入れられました。辺野古の今度の計画はすでに1966年に明らかにされていて、アメリカが一番必要な基地で、古い基地(普天間飛行場)に替わり、新車を差し上げるようなものです。新たな基地をつくったなら、世界一要塞化されたアキサミヨー(悲鳴)のまちになるでしょう。」と市長に訴えています。
■「特別措置法」を検討
 大田知事が軍用地強制使用の代理署名を拒否したことに政府は懲りて、知事の権限を、総理大臣に取り上げたわけです。つまり、総理大臣がやろうとする事業を、ほかならぬ総理大臣が認めると言うような、およそ法的手続きではあり得ないようなことが、沖縄に対して突きつけられた。これは憲法上、一つの地域にだけ適用される法律を作るためには、その地域の住民による同意がいりますが、政府はそれも無視してやってしまったのです。沖縄の人はピーンとくるのです。あのときの「特措法」をまた使うと。
この特措法の適用は、沖縄だけということにはならないでしょうが、「沖縄の人が一番敏感に感じる」というようなところに一種の沖縄差別があるのだろうと思いますし、これが「ヤマトに三度、質に入れられた」と言うことにつながるわけです。
 最後に、「沿岸案」に配備しようとしている、「オスプレイ」の機能についてですが、ヘリコプターの機能と固定翼の機能の両方を持っています。今、イラクやアフガンでヘリ(高度3〜7千メートル)が落とされている現実があります。従って、オスプレイは8千メートルの高度を飛行する機能をもっていますが、機構が複雑なので事故が起こりやすく、アメリカですでに3機が墜落事故を起こしています。
 しかしあえてこれを開発して、海兵隊の主力にしていくことと、そのヘリ基地を辺野古に造るということ。これはアメリカが言う、東アジアから中近東に至る不安定の弧に対するグローバルなアメリカの世界戦略体制を維持していくために、日本を巻き込んでやっていく、その最大の拠点が、この辺野古に造られようとしている問題なのです。従って、この辺野古に反対することは、沖縄差別に反対すると同時に、今日苦しんでいるパレスチナやイラクの民衆との連帯にも、つながっていく問題だと考えています。どうもありがとうございました。-END-

第5号(2005/12/17)
★「沖縄の家庭料理教室」が開かれる

第4号(2005/10/10)
★特別講座「沖縄近現代史」/霊泉寺温泉
★2004年の活動経過
★2005年の計画について

第3号(欠番)

第2号(2005/03/12)
★第3回信州沖縄塾「戦争体験を語り,平和を紡ぐ」
★辺野古だより(6)から

第1号(2005/01/24)
★ボーリング調査差し止め訴訟について
★沖縄辺野古の戦いから(その 
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