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沖縄県知事選〜現地からの通信

■短信−3 (2018928)

 今朝の琉球新報 社会面に「個別補償 揺れる辺野古」との大きな見出しで、区民「無いなら基地反対」とのサブタイトルもついています。「説明を」総会開催要求も ともあります。

 ことの発端は、長い間、区民は現金補償があるものと信じ込まされてきたのでした。一世帯15000万円と言われ、これから紹介する金城武政さん(61)などは、「あんたは反対しているから貰えないよ。」と言われていたものでした。

 上記の新報記事には「政府とどんな交渉をしているのか。これまでも報告を求めたり、議事録公開を要請したりしてきたが、何一つ応えない。不透明なまま『容認』を押し付けられている」との武政さんのコメントを紹介しています。

 731日に防衛局が現金補償なしと通知したのに対し、辺野古区の行政委員会(18名からなる最高決議機関、他の区では総会が最高決議機関)が何も対応しないことに対し、総会開催要求が出たり、地区内の不満・不信が高まっていました。26日開催の行政委員会に武政さんは他の5名の区民ともに傍聴をかちとったのでした。

 武政さんの母堂は、1974年辺野古の自営の店で米兵に殺されました。当時高校生でした。20048月沖国大にへりが落ち、翌月から小泉政権は辺野古沖のボーリング調査を始めようとしました。このとき、武政さんは仕事がないので警備会社に勤務し、反対運動に敵対する立場に立たされましたが、運動に共感し、会社を辞めました。以来、表に出ている反対派地元住民として、運動にとっては貴重な人材、敵にとっては妨害者として、にらまれてきました。(12年の間に4回逮捕、今も公安が監視しているもよう)

 私が彼と会うのは、年に23回ですが、会うたびにたくましく成長していることに驚かされます。今も形は選挙運動ながら、辺野古の住民としての新基地反対を強く訴え続けています。辺野古区の民主化と新基地反対が彼の人格のなかで一つに融合しています。

 

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