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「信州沖縄塾」の活動について

信州沖縄塾は、塾生に総会議案書(案)とアンケートを送付し、その集約に基づいて、12月3日に運営委員会を開き検討をいたしました。その結果、伊波塾長が来年、ふるさとの沖縄に移住することと、中心となる運営委員の高齢化が進なかで、今後の活動の継続は困難と判断をいたしました。従いまして、引き継ぐプロジェクトや事務的な整理などを検討し、閉塾の期日を含めて、来年1月8日に開かれる総会において決めることになりました。(12月6日付信濃毎日新聞で報道されています)

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 第15回 信州沖縄塾総会 議案書(案)
1 この国の今
安部晋三首相は、「森友・加計疑惑隠し」を乗り切り、自民党総裁選の三選を果たし、総裁選論功行賞的第四次「閉店セール内閣」を組閣した。
秋の臨時国会では「自民党憲法改正案」を提出し、国民投票に持ち込むために、政治生命を賭けて突き進むでしょう。国民は敗戦後の憲政史上最悪の総理大臣と対峙することになります。
安倍政権を支える政党は、政治理念を失った公明党、日本維新の会、希望の党ですが、憲法改正を目指す右派政治集団「日本会議」が黒子になって控えています。「日本会議」は、「美しき日本を再建し、誇りある日本国を再建する」ことを旗印にしています。この政治集団は、生長の家・神社本庁・明治神宮・靖国神社などの宗教組織から財政支援を受け、全国47都道府県に支部を作り上げ、地方自治体の一部首長を取り込み、全国に地下茎のように会員を増やしつづけています。今や、財界やあらゆる分野で影響力を強め、国会議員260余名も日本会議の会員であると報じられ、わが国の政治に大きな影響力を持つまでになりました。私たちは「日本会議」の存在を、決して軽視してはなりません。
黴の中で埋もれていた古色蒼然とした日本語「忖度」が蘇ってきました。その立役者が安倍晋三・昭惠夫妻です。利益誘導疑惑は隠蔽されたまま国会での追及もかわし、高級官僚たちが公文書の改ざん問題や忖度関与で辞職に追い込まれ、高潔な公務員を自殺にまで追い込んでしまいました。しかしながら、国民やマスコミの厳しい指弾を受けながらも、絶対多数の議席を背景に、安倍政権は安泰のままです。
今日、私たちの耳目には、盛んに「領土」「領空」「領海」「国土防衛」という言葉が飛び込むようになりました。これは、まさに、この国の昔帰りへの足音です。
歴史から学べる教訓は、その国の国内、対外政策に、国民から自由と基本的人権を奪い、外国への野望を持つ時の法制名は、すべて「平和」「安全」「幸福」「自由」「民主」「防衛」
という冠をつけて制定されるのが通例です。先ごろ制定された「平和安全法制整備法」や「国際平和支援法」は、その極みと言わざるをえません。わが国は「平和憲法」という世界に誇り得る日本国憲法を持ち、敗戦後、他国との「戦争」という愚かな行為で諸外国と対峙することはありませんでしたが、その歯止めも、「シナイ半島多国籍軍・監視団(MFO)」への派遣によって間もなく外されようとしています。いよいよ、安倍政権の「積極的平和外交」の正体が明らかになりつつあります。
トランプ米大統領の尻馬に乗り、米朝韓の接近外交からは蚊帳の外に置かれ、「拉致被害者帰国問題」についても金正恩党委員長らは「すべて解決済み」と、梯子を外されてしまいました。トランプ大統領からは、世界の指導者中、唯一、心を許し合える仲であると持ち上げられ、絶対無二の親友と自負し広言をはばからからなかったのに、そのお友達のトランプから、輸入関税交渉を突きつけられ、外交の「安部丸」は、今や「難破船」になりつつあります。
国会議席は一強五弱、盤石を誇っているように見える安倍政権も、「平和憲法」を守るために立ち上がった聡明な国民の怒りによって、必ずや自公政権は打倒される日が来るでしょう。
 わが国では大震災や自然災害、国土は満身創痍の状況下にあり、福島原発事故後七年半も経つ今日、46,000人以上(2018/5)の未帰還者がとり残されたままです。相次ぐ自然災害の被災者は生活再建の道さえ見つけられない状況にあります。その上、東南海大地震や首都直下型地震が予測されており、日本国の最大の問題は、迫りくる大震災に、どう備えるか、国民の生命・財産を守る防災国家を一日も早く作り上げることです。しかし、安倍政権は来年度の国防整備予算を5兆3千億円も計上し、軍備拡張国家への道は止まるところ知りません。今こそ、この国の進路を「防災安全国家」へ舵を切り直すべきです。
2 なぜ、沖縄問題を学ぶのか
沖縄問題を学ぶことによって、私たちは何を知ることになったのでしょうか。
わが国は「一民族、一国家、一言語」を持つ単一国家だと、多くの国民は認していますが、国連人権差別撤廃委員会の規定によって、アイヌ民族、琉球・沖縄の人たちは先住民族として、それらの文化、アイデンティティ、言語は尊重されるべきと明記されました。政府は琉球は古来より日本民族であり、琉球に対する規定は間違いであると抗議をしています。しかしながら、日本国と琉球の近世の歴史的関係性を見た場合、琉球処分以降、今日までわが国の琉球・沖縄に対する対応は構造的差別の歴史そのものである。
アイヌと琉球は、独自の言語と文化圏を持っていました。日本国の成立過程で、アイデンティティの根幹となる言語が、まず、教育を通じて強制的に標準語に収斂され、独自に培われてきた文化や慣習は、劣等な生活慣習として排除されてきました。琉球については明国・清国との長年にわたる冊封関係があり、薩摩による琉球国侵攻以降も、徳川幕藩体制下、清国との貿易権益を維持するために、琉球国を表面上独立国のまま、薩摩藩による間接支配下に置き、明治維新を迎えます。
日本国家による琉球・沖縄への取り扱いの歴史的経過を列記すると、1609(慶長4)年、今から409前、琉球国は薩摩による軍事侵攻を受け、明治維新まで、薩摩の間接支配下に置かれました。明治維新後の1871(明治4)年、廃藩置県が断行され、これまでの幕藩体制が、中央政府直轄の県による統治となります。その結果、北海道の1県、東北地方の34県、関東地方の67県、中部地方の60県、近畿地方の2府、66県、中国地方の27県、四国地方の12県、九州地方の36県が新たに設置され、中央政権的統一国家の天皇国家がはじまりますが、1889(明治22)年に47都道府県に統合されます。
琉球国については、これまでの清国との歴史的経過もあり、当初、他府県とは別の取り扱いとなり、1872(明治5)年から4年間、中央政府直轄琉球藩となります。しかし、西欧視察後の大久保利通によって一国二制度は、将来に禍根を残すとして、この別格扱いは廃止され、1879(明治12)年、明治政府は松田処分官に率いられた、官吏30人・巡査160人・歩兵300人で、「琉球処分」を断行し、日本帝国へ武力統合され、沖縄県が誕生しました。
その後、1881(明冶14)年、明治政府は清国に対して、日清修好条約の欧米列強並みの最恵国待遇の増約を求め、増約引き換え条件に、宮古島・八重山諸島の分割譲渡提案を行います。しかしながら、清国側の国内事情で条約締結寸前に清国代表団は帰国、その後、わが国が日清戦争に勝利したことで、この分割提案は外交交渉事案から消えてしまいます。
敗戦後の1947(昭和22)年、 昭和天皇の政治的関与の歴史的汚点の一つに挙げられるマッカーサーへ、「米ソの対立激化を考慮し、アメリカが沖縄本島をはじめ、琉球諸島の軍事的占領を長期間続けるよう」提案します。
1952(昭和27)年、サンフランシスコ平和条約・日米安保条約の発効により、沖縄は完全に、日本国から切り離されました。
沖縄県知事の変遷を見ますと、1879(明治12)年から6代の県令知事が赴任し、1886(明治19)年から1945(昭和20)年まで、23代の官選知事が任命されます。敗戦後、米軍統治下、米民政府により3人の知事が任命され、その後、間接任命行政主席が4代就任します。1968(昭和43)年、はじめて県民の直接選挙により、屋良知事が誕生し、翁長知事で7代目となります。
NHK特別番組「沖縄と核」で、キューバ危機時、ミサイルメースBに搭載された1,300発の核弾頭が中国に照準を合わせ、発射ボタンを押す状況下にあった。また、1959年、那覇基地の核搭載のナイキミサイルが、誤って発射され、沖縄が、消滅する危機にあったことも明らかにされました。
  1972年、沖縄は「核抜き、本土並み」を表看板に、「核密約文書」が交わされ、日本復帰が実現しました。沖縄の核の存在について、長野県民が選んだ、当時の小坂善太郎外務大臣は、「沖縄の核の存在を、日本国民は、後から知ることになれば、仕方がないと、あきらめるから、沖縄の核の存在を、事前に明らかにしないで欲しい」と、アメリカに要求したのです。
沖縄県民が望んだ「祖国復帰」は、「国民主権・基本的人権・平和主義」を掲げる日本国憲法を掲げる、日本国への復帰だったのです。それは全くの幻想でした。なぜなら、あれから46年間、沖縄は日本国憲法が適用されない「日本国憲法特区」のままだからです。
第4次安倍内閣が発足する前に、日米安全保障にかかわる沖縄知事選挙に敗北する事態になれば、安部政権のダメージは計り知れないものとなります。
「イデオロギーよりアイデンティティ」の旗印を掲げて登場した第7代翁長雄志沖縄県知事は、任期半ばにして無念の旅立ちの道につきました。
好機到来とばかり、知事席の奪還を図り、辺野古新基地建設を容認する宜野湾市長佐喜眞淳氏を自公維新の候補者として擁立した。オール沖縄側は出遅れ、一歩リードを許してしまった。しかし、翁長知事の遺志を継ぐ候補者として、国会議員玉城デニー氏を対抗馬として立てた。
 第四次安倍政権直前の地方首長選挙であり、その上、政権にとっては最大のパートナーであるアメリカ軍の新基地建設をめぐる沖縄県知事選挙である。
 政権側は先日の名護市長選挙の結果、「勝利の方程式」を得たと豪語していたが、その対処が以下に掲げる選挙対策である。
「期日前投票制度」の最大活用。経済団体のフル活用。公明党・創価学会員の大量動員。地方の知事選挙であるのにも関わらず、選挙戦では菅官房長官が3度にわたって沖縄に出向き、陣頭指揮を執り、また、今や自民党選挙支援の最大スターと称される筆頭副幹事長小泉進次郎も3度、二階幹事長、総裁選の対立候補者石破茂、山口公明党委員長もそろい踏みし、自公の国会議員まで総動員令を出し、伝えられるところによれば、公明党は必勝態勢をとり、創価学会は佐藤浩副会長を常駐させ、公明党員・創価学会員4,000人を沖縄に送り込み沖縄県知事選挙の陣頭指揮をとったといわれています。
 しかし、沖縄県民は、それらの策動に、「ウチナーンチュ ウセーテーナイビランドー」と、豪速球を投げ返しました。有権者は、玉城デニー候補に396,632票を投じ、対立候補佐喜眞淳候補に80,174票の圧倒的大差で沖縄県知事の座を与えました。亡き翁長知事が命を懸けて立ち向かった「辺野古新基地建設」の遺志を継ぐ知事が誕生したのです。
 投票出口調査を見ると、辺野古新基地建設に59.6%が反対し、無党派層の71.4%が玉城候補に投票したと答えています。それに反し、一枚看板を誇る公明党支持票の27%が本部の指示に反し、玉城候補に投票しています。
 2月行われた辺野古新基地が建設地の名護市長選挙では、オール沖縄候補稲嶺進候補が、自公候補渡具知武豊候補に3,455票差で敗れましたが、今回の県知事選挙の名護選挙区では玉城候補が1,246票リードする逆転現象が起こっています。
豊見城市、那覇市長選挙では、オール沖縄が推す候補者が相次いで当選し、玉城知事が推し進める「辺野古新基地反対」の県政にとっては追い風となっている。
この結果からも、沖縄県民にとって基地の過重負担は、もはや限界に達している怒りの意志表示ではないでしょうか。
 選挙は民主主義制度の根幹に関わります。安倍政権は沖縄県民が示した「辺野古新基地建設」反対に真剣に向き合い、沖縄玉城デニー新知事と同じテーブルにつき、これからの沖縄における米軍・自衛隊基地の将来像について合議をはじめるべきです。
 従来の暴力的国家権力行使の執行だけでは、国家権力対沖縄県民の対立構造は、ますます深まり、出口なき闘いの日々が続くことでしょう。県民意思を無視したままの「辺野古新基地建設」を強行すれば、日本国憲法が定める「地方自治」を、政府自らが根本から崩すことに等しいと言わざるを得ません。
 沖縄県民は、これまで国民が享受すべき日本国憲法が掲げる「平和主義」「民主主義」「基本的人権」の埒外に置かれ続けられてきました。日本国民としてこのダブルスタンダードの取り扱いの中でも、沖縄県民は決してあきらめることなく、これらの獲得のために闘い続けるでしょう。
沖縄県民の願望は、かつての琉球国が、アジアの文化や交易の中継拠点であったように、戦争に一番近い島から、アジアの、近隣友好の懸け橋の、オキナワに戻ることです。
 沖縄以外の地に生きる日本人の皆さん、日本国憲法が掲げる「九条」の旗を守る責任を、しっかり果たそうではありませんか。
3 信州沖縄塾誕生の記録
2004(平成16)年5月、沖縄県立与勝高等学校生徒三人と引率教師が、伊波宅にホームスティしたとき、ひとりの女子生徒が「長野の風には音がある」と、つぶやき、その真意を問いただすと、「朝、私たちが目覚めて、最初に耳にするのは、ジェット機やヘリの飛び立ち爆音だもの……」。この言葉は衝撃的だった。「あー、沖縄と長野の日常は、こんなにもかけ離れている」。長野県民に沖縄の現状を知らそう! 知ることからはじめ、そして、自らの責任を果たそう! なぜ沖縄なのか、沖縄から何を学ぶべきかとの思いから、2004(平成16)年8月5日、長野県庁で四竃更、川田龍平、親里千津子、横田雄一、表秀孝、岡嵜啓子、伊波敏男の七人が呼びかけ人となり「信州沖縄塾」結成記者会見を行い、次のように訴えました。
「歴史を振り返ると、沖縄は、我が国の都合によって振り回され、第二次大戦に地上戦による沖縄県民の多くの犠牲、戦後から今なお続く、米軍基地の過度の集中。沖縄県と長野県には戦争の共通の傷跡があります。沖縄は南洋移民、長野は満蒙開拓団です。この戦争によって傷つけられた長野県で、沖縄問題を中心に平和問題を学ぶ市民組織が生まれたことに意義があります。」
同年9月4日、以下の設立趣旨と目標を掲げて信州沖縄塾は発足しました。
【設立趣旨】
 琉球・沖縄を通して、日本を考えることで、この国の危うさや矛盾が見えてきます。 だからこそ琉球・沖縄の歴史と現状や文化を学び、この国のあり方を考えていきたいと 思います。太平洋戦争からの歴史を振り返りますと、捨て石としての沖縄戦、サンフラ ンシスコ条約によるアメリカ軍事占領下の沖縄、沖縄返還と密約など、沖縄はこの国の 都合に振り回されてきました。一方、長野県は松代大本営地下壕や、多くの県民が送り 込まれた満蒙開拓団など、長野県と沖縄には歴史的な共通点があります。その共通項を 踏まえて、沖縄が潜り抜けてきた歴史と現状を学びながら長野県から平和問題を考える 「信州沖縄塾」を立ち上げました。
【信州沖縄塾の基本目標】
  (1)私は(設立時は私たち)、沖縄の歴史と現状、文化を学びます。
   (2)私は(私たち)、学んだことを糧にして、信洲とこの国を検証します。
   (3)私は(私たち)、それぞれの立場で行動します。
 【主な活動】
 目標実現のために講師を招き講演会、DVD学習会、沖縄ツアーなどを企画します。
【入 塾】
 信洲沖縄塾は、ゆったりと論議したい人がそれぞれの物差で行動し、たとえ違う意見を持っていても、互いに相手を尊重できる人なら、どなたでも参加できます。
 ただし、あなたにつぎの質問だけはいたします
 あなたは「この国」の:現状に異議を唱える人ですか?
 あなたは「この国」の進路に危機感を持つ人ですか?
 あなたは連帯して「この国」を変革することに賛意持つ人ですか?
 あなたは平和を守るために自分ができることを探している人ですか?
4 信州沖縄塾これまでの主な活動
・2004/9/5 開塾記念講演 真喜志好一氏「沖縄はもうだまされない」
 故岡部伊都子さんから開塾へのメッセージ
 「こどもたちを 売ったらあかん まごころを 売ったらあかん
  こころざしを 売ったらあかん 大自然を売ったらあかん」
 ・2004/10 辺野古へカヌー寄贈/水谷治夫さん派遣
 ・2010/10/10 信毎紙への意見広告 賛同4,366人 記名3,805人
 ・記念講演会 沖縄と各地からのゲスト 56人
 ・沖縄連帯ツアー4回 辺野古支援派遣 信大学生安永義祐さん
 ・家族同伴の沖縄への旅
 ・開塾五周年記念公演 「琉球の芸能・伝え継ぐ力」 
 ・本願寺長野別院 鎮魂舞踊奉納
 ・北島角子「ひとり芝居」公演
 ・「沖縄フェア」 「沖縄映像祭in UEDA」
 ・沖縄料理教室 2回
 ・「ひめゆり」「ひまわり」の自主上映
 ・自主講座 「小さき者の視座」7回
 ・塾生による講座 11回
 ・講演会報告誌 15冊
 ・沖縄関連・平和問題DVD上映会 
 ・塾報の発行⇨34号
  ・信州沖縄ネットへの参加
  ・協力沖縄情報提供者(情報発信がより豊かになり、感謝を申し上げます。
 「ブロッコリーの森から」(坂尾美知子さん )
   「海なりの島」(目取間俊さん)
   「チョイさんの沖縄日記」(北上田毅さん)
 ・沖縄関連、平和問題DVD保有・ホームページ「信州沖縄塾」
 ・CD‐R(パワーポイント)「未来を託す君たちへ」「誕生からこれまでの歩み」の作製
 ・プログラム「未来を託す君たちへ」提案 長野県内3回 沖縄1回
5 信州沖縄塾閉塾の提案
信州沖縄塾の開塾から15年が経ちました。信州沖縄塾が果たしてきた役割は、市民組織として、沖縄問題を学び、一人ひとりが自分の課題として向き合い、自分ができることから足を踏み出す必要があることを、長野県民に呼びかけたことです。
信州沖縄塾は沖縄問題を特化して学ぶ市民組織の「さきがけ」の役割を担ってきました。現在、長野県内の各地域には、沖縄問題を課題とする市民グループが生まれ、さまざまな活動をするまでになりました。2017年5月、それらの市民グループによって、情報を共有し、活動の連携を目指す「長野沖縄ネット」が組織されました。
昨年の第14回総会において、信州沖縄塾は目標に掲げている一人称複数形「私たち」を、一人称の「わたし」に変更しました。その理由は、塾生が個人としての主体性をより明確にして、学び、考え、行動することを求めるためでした。また、運営委員は昨年総会で再任となりましたが、委員それぞれが役割を分担して担うことを目指して共同代表としました。人も組織も歳月を重ねると活力を失います。特に、組織は組織疲労が起こり始めます。まして、開塾以来、特定個人が塾長のままでは、組織運営にも淀みが生まれ、企画力、組織的行動力は弱まり、情報発信力の減退は避けられなくなります。
組織のリーダーは、常に時代が求める人材によって牽引され、組織責任者の新陳代謝がなされなければ、激変する時代に即応できる行動力も組織力も維持できなくなります。
現在、信州沖縄塾の共同代表運営委員もそれぞれが高齢化し、活動力にも限界が生じており、残念ながら世代交代ができないまま今日を迎えてしまいました。また、今年はじめに、伊波敏男塾長夫妻は、2019年に沖縄に移住することが伝えられ、新塾長の選任と組織の在り方を、共同代表運営委員会で数次にわたって検討してきました。しかしながら、 信州沖縄塾は伊波現塾長の呼びかけによって開塾され、これまでの活動歴からしても、伊波塾長に代わる適任者は見当たらないため、現組織のままの新塾長、運営方針、特に次のステップへの提示ができないまま、今次総会を迎えました。
 しかしながら、沖縄から突きつけられている諸課題は、この国の未来に関わる、真に独立した国家とはどうあるべきか? 平和主義、主権在民。基本的人権、民主主義、地方自治、環境問題等、山積したままです。ひとり一人の立ち位置と責任は、ますます重要度を増してくることでしょう。
議案書(案)とともに、伊波塾長からの私信と塾生からの意見を寄せていただくために、アンケート用紙が同封されています。多く塾生の皆様のご意見が事務局宛てに送っていただくようお願いいたします。
塾生の皆様から寄せられた意見をもとに、12月3日(月)の共同代表運営委員会において、残務資産と関係資料の整理、塾生名簿の取扱及び「琉球・沖縄センター、未来を託す君たちへ」の事業について検討し、総会で提示いたします。
総会に多くの塾生みなさんのご参加をいただき、次の問いかけに向き合い、沖縄問題を中心課題とする、あらたな組織が誕生出来るように知恵を絞りましょう。
あなたは「この国」の現状に異議を唱える人ですか?
 あなたは「この国」の進路に危機感を持つ人ですか?
  あなたは連帯して「この国」を変革することに賛意持つ人ですか?
   あなたは平和を守るために自分ができることを探している人ですか?
             
6 経過報告
(1) 2017年度活動報告
 a)第14回総会
*会場/上田中央公民館 (2017年10月10日)
 b)運営委員会(全10回)
*第1回2017年11月13日、第2回12月12日、第3回2018年1月9日   
 第4回2 月13日、第5回3月14日、第6回4月9日、第7回6月12日、
 第8回7月10日、第9回8月24日、第10回10月26日
 c)主な取り組み
DVD学習会(会場/上田中央公民館)
*第1回2017年11月24日「海兵隊」、第2回2018年1月26日「辺野古ゲート前の人々」、
第3回3月13日「アメリカの一番恐れた男」、第4回4月27日「障がい者の辺野古のつどい」
宮本塾と東御市憲法を守る会との共催による講演会
*演題『沖縄の今とこれから』会場/東御市中央公民館 (2018年5月6日)
上田中央公民館文化祭
*辺野古や高江の基地反対闘争の様子を新聞や写真でパネル展示およびオスプレイの飛行の様子などDVDの上映
(2018年2月24日〜2月25日)
ぢ消賃僚顕颪悗了臆
*安倍内閣の退陣を求める県民大会
「長野市ひまわり公園」(2018年6月10日)
*「辺野古に基地はいらない!沖縄知事選勝利!緊急連帯集会」(9月13日)
*「上田地区沖縄知事選支援集会」(9月15日)
ソ諒鵑糧行
*第36号(2018年1月20日発行)
Α嵬ね茲鯊す君たちへ」プロジェクト
*第1回親子の沖縄への旅(2018年8月4日〜7日)
(2) 信州沖縄塾「塾生の現況」
*塾生125名、他に賛同者・協力団体に情報発信
7 2017年度会計報告及び会計監査報告
  ※別紙参照
8 その他
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